新選組の屯所移転に関する記述が見つかった西本願寺の文書(京都市下京区・本願寺史料研究所)

新選組の屯所移転に関する記述が見つかった西本願寺の文書(京都市下京区・本願寺史料研究所)

【地図】屯所の推定地

【地図】屯所の推定地

 幕末に活動した新選組が洛中最後の拠点とした「不動堂村屯所」について、直前に屯所があった西本願寺(京都市下京区)の古文書に、移転先を現在ホテルがある下京区堀川通塩小路下ル松明町一帯の「西九条村」とする記述があるのを、新選組のふるさと歴史館(東京都)の元館長が見つけた。移転に関わった寺院の史料だけに、専門家も確定的とみており、諸説ある議論に終止符を打つ可能性がある。

 新選組は中京区の壬生寺近くの前川邸・八木邸、西本願寺を経て、1867(慶応3)年6月から半年ほど、不動堂村屯所を本拠にした。会津藩傘下の浪人集団から幕府直参になった最盛期に重なり、隊士も200人ほどに膨らんだため、より広い場所を求めたという。ただ、同屯所の立地を示す資料は限られ、複数の説が示されていた。
 新選組のふるさと歴史館元館長の藤井和夫氏は、昨年夏に調査した西本願寺の「本願寺文書」で、慶応3年3月の諸日記に「新選組屯所引移地所」の記述を見つけた。「西九条村ニおゐて御買入」「字松明田」との地名が入り、「南北六十弐間(約113メートル)、東西四十間余(約73メートル)」「代料金七百両」といった長方形の土地や購入の金額も書かれていた。広さは大名屋敷並みの約8200平方メートルに及び、西本願寺側が土地などを用意した抱屋敷として建て、新選組に貸したとみられる。
 藤井氏は「一連の文書は西本願寺側が新選組の駐屯に迷惑し、一刻も早く境内から出てもらいたかった様子をあらためてうかがわせる。これまで同寺の侍臣、西村兼文が明治時代に残した記録に基づき、不動堂村屯所と称してきたが、『西九条村屯所』の名称が適切だ」と指摘する。
 幕末維新期に詳しい宮地正人・東京大名誉教授は「西本願寺という当事者が記した一次資料に基づく考察のため、確度はかなり高いとみて良い。この屯所への移転は、新選組が幕府直参になった時期に当たる。同寺側の思惑に加えて、幕府がどのように関与したのかといった背景も検証したい」と話している。