京都所司代跡で見つかった木樋。逆サイホンの原理で導水している(10日、京都市上京区)

京都所司代跡で見つかった木樋。逆サイホンの原理で導水している(10日、京都市上京区)

江戸時代の京都所司代跡で見つかった庭池の遺構(10日、京都市上京区)

江戸時代の京都所司代跡で見つかった庭池の遺構(10日、京都市上京区)

木樋跡のイメージ図

木樋跡のイメージ図

 江戸幕府が二条城北側に置いた京都支配の要・京都所司代の屋敷跡(京都市上京区)で、木製の水路「木樋(もくひ)」を備えた庭池の遺構が見つかったと、民間発掘調査会社が10日発表した。池底より深部の地下に、水面の高低差を生かして水を流す「逆サイホンの原理」で導水するよう埋め込まれており、全国的にも類例のない遺構としている。

 江戸時代の京都所司代は関ケ原の戦い(1600年)後、実質的な初代に板倉勝重が任じられ、幕末の1867年に廃止された。朝廷の監視や上方の訴訟処理の役割も担い、幕府老中に次ぐ格式とされた。
 庭池の遺構は政庁があった上屋敷跡にあり、17世紀後半以降にでき、明治時代に埋まったとみられる。木樋は「ロ」の字型をした木枠の一部など、全長9・5メートル分が見つかった。両端が池底の直下を通った一方、中央部は池底から1メートル以上深部にあった。池底からの深さに高低差が付けられ、深さ1・35メートル、1・05メートル、1・4メートルの木樋を順に通って上り下りする構造だった。
 木樋は、二条城内や江戸城下の大名屋敷でも確認されているが、上り下りする複雑な構造の例は見つかっていない。一方、今回の遺構は、所司代を描いた絵図によると、池を意味する「泉水」の南端に当たる。
 調査した古代文化調査会(神戸市)は「逆サイホンの原理を用いた木樋は、噴水や滝口のためと想定できるが、水路の先は池の中心から外れ、噴水などがあるのは不自然になる。半面、排水路にしては手が込みすぎている。どのような作為があったのか、謎が多い」として調査を続ける。
 ほかに、上屋敷の「塀中門(へいちゅうもん)」や馬をつなぐ「馬立所(うまたてどころ)」、弓道場の「射場(いば)」の痕跡も絵図通りに見つかり、天明の大火(1788年)で焼失し、再建されたことも裏付けられた。
 調査はホテル開発に伴い、12月まで平安京左京二条二坊二町に当たる4745平方メートルを対象に行っている。現地説明会は新型コロナウイルス感染予防のため、開かない。