やまうち・すすむ 1949年生まれ。西洋法制史。成城大教授、一橋大学長などを歴任。2020年4月から松山大法学部特任教授。著書に「十字軍の思想」「文明は暴力を超えられるか」など。

 西洋の政治には三つの思想伝統がある。

 ひとつは境界の思想で、自己を文明、他者を野蛮と考え、相互に境界線を引く思想である。アリストテレスはその代表である。彼の思想においては、最高の存在がポリス(都市国家)で、それは完結的で閉鎖的な文明共同体だった。ポリスは完成されており他者を必要としない。野蛮人との戦いは戦争ではなく「狩猟」だった。外界と交易する商業は非難されて然(しか)るべきものとされた。中世のキリスト教世界も同じように境界を設け、異教徒と戦い続けた。

 同じころ、哲学者ディオゲネスは、人に出身地を聞かれて「私はコスモポリタン(世界市民)だ」と答えたという。アリストテレスを家庭教師としたアレクサンドロス大王は、師よりも、風来坊のごときディオゲネスを好み、東西文明を融合したヘレニズムをもたらした。ヘレニズムは境界を捨てコスモポリタニズムへと向かった。これが第二の思想伝統である。コスモポリタンという言葉は、他国を訪問する権利を「世界市民法」としてすべての人に認めたカントによって近世に蘇(よみがえ)る。

 社交の思想が第三の伝統である。それは自己と他者を分けるが、協調と社会的交流を尊重する。辻邦生の『背教者ユリアヌス』に登場する、皇帝ユリアヌスが師と仰いだ修辞学者リバニオスは、通商を「神の摂理」によるものと語り推奨した。神はどの国も完全にせず、さまざまな産物を世界中に分散した。人に他者の助けを必要とさせ、相互に交流させるためである。

 この思想を17世紀という流血の時代に復活させたのが「国際法の父」グロティウスであった。グロティウスは、他者を尊重する本性を社交性と呼び、互いに恩恵を与えあうものとしての航海と通商の自由を人の自然法的権利と主張した。

 最近は境界の思想が強まりつつあるが、私は、国際的な社交はいまこそ必要不可欠だと思う。自らを文明とみなし自己の利益や覇権のみを第一に考えて行動する国家と、自己を大切にしつつ他者と交流し助け合おうとする国家と、そのいずれが文明的であろうか。たしかに、人々相互の陸と海での交流と訪問は戦争や天災、疫病などの災厄によってしばしば断絶してきた。災厄は人の動きを止め、社会と国家は閉ざされる。17世紀のロンドンではペストのために劇場は閉鎖され、感染者の家はふさがれ、逃亡した者は処罰されたという。

 しかし、それでも人は動く。知や愛を含めて、足りないものを求めあうのが人間だからである。危機の時代だとしても、自己とともに、他者との社交を大事にするのが文明というものであろう。(法制史家)