6月8日 200年住宅
 東近江市の私の生家はかやぶき屋根をトタンで覆ったものです。子ども心にブーフーウーのブーやんか…と頼りなく思っていましたが、築200年超、ガタはあるものの骨格はいまだ堅固です。屋根が載る三角部分の上部の「水」の文字は火伏せのまじない。古い農家の造りで、たたきにおくどさん。煮炊き、暮らしの煙が天井に立ち上り、すすが屋根の腐朽を防いだ。生活者の知恵の結晶を今は崇敬しています。今週のテーマは、家。

6月9日 たたきの役割
 たたきとは「敲(たた)き土」。赤土、石灰、砂利等々が塗られ、たたいて固められた土間。外の地面から内へとつなぐ中間スペースです。特に農家など履物や道具の汚れもいったんここで解消できるという実利的役割を果たす。はだしで踏んだ土のひんやり、でこぼこ感は忘れがたい。コレと叱られつつ、下の水屋(手洗い場)で足を洗ったものです。今も野や川で遊んだ泥んこ子どもが家に飛び込むときに「ああ」と思う。たたきがあれば。

6月10日 井戸と水屋
 蛇口をひねれば水が出る。それは奇跡と思え。亡き父の教えです。水道、蛇口がなかった頃の生活水は井戸のつるべから。水の運搬という重労働が暮らしの要でした。電動ポンプが付いた時の喜びは何物にも代えがたかったそう。井戸を含めた水屋という空間では、食材の泥を落とす、魚や鶏をさばく、果物や野菜を冷やすなどの用途に。上と下の調理はきっぱりと清潔に分けられていました。夏の井戸水は手が痛いほど冷たかった。

6月11日 台所の位置
 戦後創刊された雑誌「暮しの手帖」の画期的な提案の一つが台所の位置についてでした。食を支える場は北向きの陰ではなく、日の当たる場所に置こう。欧米への憧れも作用し、経済成長とともにかまどはガスコンロ、流しがステンレスのシンクに。ちゃぶ台もテーブルと椅子に…となれば「一番座敷」にあずかってきた家長も、キッチン隣接のダイニングではあぐらをかいていられません。民主主義、男女同権への転回点は台所かも。

6月12日 田の字型
 「田の字型」は古くは農家、今はマンションでよく言われる四角続きの間取りです。昔は廊下部分が少なく部屋同士がつながり、動線は部屋から部屋へ。隔てるのはふすま1枚。プライバシーという感覚が薄く、良い悪いは別として家族は密接な関係に。互いの動きは把握しやすかった。座敷、御家(おいえ)、奥…と各部屋には呼び名がありました。まあこれは現代でもそうでしょう。ちなみにわが家には「爆発部屋」という無法の1室がある。

6月13日 蚊帳はええもん
 欧米に比べアジア圏は添い寝率が高い。とある調査結果ですが日本も確かに高い。愛着形成、睡眠の質、自立心…。是非の議論はさておきますが、私も長く父母の寝間で当たり前のように寝ていました。夏の窓は開け放しで緑の麻の蚊帳が必需品。あの重さや繕い跡の模様は忘れられません。雷のときもつるす安心の空間。ええもんです。京都も蚊ぁ多いし(うちの周りだけ?)、今は息子に添い寝の日々、かゆそうにしてるし買おかな。

6月14日 夢の応接間
 応接間はもうあまりないでしょう。1960年代の邦画に多く見られるハイカラな洋間への憧憬(しょうけい)。わが生家でも急造で設けられ、ソファにテーブル、カーペット、シャンデリア(っぽい電灯)がぶらさがった。家具にはレースのカバーがドアノブにまで。大切にされた誇り高き部屋。そもそも応接するような客人なんて来ないのに…は言うたらあかん。庶民の夢の愛らしい具体化だと考えます。現代だと広いリビングか?

 

~がおーが来るで~

 

<文 澤田康彦 絵・題字 小池アミイゴ>

 青いふすまを開けても開けても青いふすま、その次は黄色くなって、開ければまた黄色いふすま…というのは鈴木清順監督の映画「刺青一代」(1965年)、高橋英樹さんが敵の家に殴り込む名シーンです。

 あんなに広いわけではもちろんありませんが、東近江市のぼくの実家は、移動はふすまを経て部屋から部屋へという造り。昔ながらの日本の「田の字」型の古民家です。

 冬はどの部屋も閉めきられて、お正月なんかは親戚やご近所、父のマージャン仲間、兄の友人たちが集まり、ふすまやガラス戸、障子を開けても開けても誰かがいました。

 一方、夏の部屋はほぼ開け放してあって、子どもたちは走り放題、鬼ごっこにも隠れんぼにも最適でした。夜、雨戸を閉め電灯を消すと真っ暗闇になり、大層怖かったもの。ご不浄は外にあったので、うっかり行き忘れた夜の後悔たるや! 蚊帳の外は真っ暗で、蚊の入らぬようささっと出て、部屋から部屋へ、電灯を次々つけ、仏壇や神棚、先祖の遺影、日本人形は見ないようにして、たたきにこわごわ下りると、カマドウマがぴょんぴょん足元に跳ね、悲鳴を上げた。ぼっとん便所の下の深い闇も恐ろしかった。

 「がおーが来るで!」。故郷できかんぼを脅すときに使用する言葉ですが、確実に「がおー」はいたと思いますし、子どもはそれでだいたい言うことを聞いた。余談ですが、妻が子どもを叱るとき「天狗(てんぐ)が来るよ!」と言ったのに驚きました。めいの場合は「鬼が来んで!」。妻の妹は「ひょっとこが来る!」と。親それぞれですね。共通点はみんな和風なところ。吸血鬼では説得力がないものね。

 それにしても子どもって、言うことを聞かずにドタドタ走る、忍び足のできない生き物です。楳図かずおさんのギャグ漫画「まことちゃん」の走りですね。静かな実家に泊まって寝ているとよく分かる。畳や板の間、部屋から部屋へ子どもたちが朝から晩まで走っているということ。ぼく自身もそうだったでしょうし、築200年以上というこの家では代々どの子も、ぼくの息子に至るまで、どたどた元気な音を立てたわけです。そしてそのつど新しい親に「がおー」は呼ばれ続けて、大変お疲れさまなのであります。

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澤田康彦 さわだ・やすひこ 1957年生まれ。編集者・エッセイスト
小池アミイゴ こいけ・あみいご 1962年生まれ。イラストレーター