湖中に明智秀満像を建立する計画を記した資料

湖中に明智秀満像を建立する計画を記した資料

森大造さんが描いた湖に浮かぶ明智秀満像の完成予定図

森大造さんが描いた湖に浮かぶ明智秀満像の完成予定図

 戦国武将、明智光秀の重臣明智秀満(左馬之助)の「湖水渡り」伝説の像を湖中に建立する計画を記した1962(昭和37)年の公文書が、大津市打出浜の県立琵琶湖文化館で見つかった。開館して間もない同館が、文化財愛護の象徴にしようと計画したことがうかがえる。

 資料は、B5判約20ページ。先月下旬、職員が館内の書類を整理している際に見つかった。

 計画では、「明智左馬之助湖水渡像」は人の大きさの3倍大の鉄筋コンクリート製。伝説に基づき、秀満が馬に乗って湖水を渡る姿をイメージし、同館から東に30メートルの湖中に建立する想定だった。現在の米原市醒井出身の彫刻家森大造さん(1900~1988年)が手掛け、同年12月の完成を予定していた。

 秀満は、光秀が討たれた後、光秀の拠点であった坂本城に火を付けたが、せめて明智家の財宝を後世に残そうと敵方に託して自害したとの逸話も残る。同館は61年に開館したばかりで、像を文化財愛護の象徴にする意味もあり、当時の草野文男館長が発案したという。

 工事費500万円(当時)を全額寄付で賄うため、62年2月から寄付を募ったことが記録されている。計画中止の理由は分かっていないが、同館は「寄付が集まらず、資金調達に失敗したのではないか」とみる。

 67(昭和42)年撮影の写真には同館東側横の湖岸に、今はない馬の遊具が写っている。同館は「像の建立に並々ならない思いがあった職員たちが、諦めきれずに作ったのでは」と推測する。

 同館の井上優主幹は「光秀に注目が集まる中、戦国時代の重要な舞台だった滋賀の歴史に興味を持ってほしい」と話している。

 森さんが描いた完成予定図を含めた資料は、同館のホームページで公開している。

≪湖水渡り伝説≫

本能寺の変の後、山崎合戦で明智軍が敗れ、光秀の居城だった坂本城へ秀満が入城する際、敵軍に行く手を阻まれながらも、愛馬に乗って琵琶湖を渡ったとされる伝説。