そうま・たくや 1977年生まれ。専門は人文地理学、生態人類学、動物行動学。中央ユーラシアで牧畜社会、農山村を中心にヒトと動物の関係を調査・研究。著書に「鷲使いの民族誌」。

 京都には「探検」に縁の深い場所が多くある。ひとつは京都大学、もうひとつは西本願寺であろう。浄土真宗本願寺派22代宗主・大谷光瑞の命で、1908(明治41)年にモンゴル高原を横断した2人の若者がいた。いわゆる「大谷探検隊」(第2次)に参加した野村栄三郎と橘瑞超だ。8月7日にウランバートルを出発し、9月21日にホブドに到着。52日間の旅であった。

 探検隊はシルクロード調査で有名だが、1937年出版の『新西域記』に収められた野村の日記「蒙疆新疆(もうきょうしんきょう)旅行日記」は、半分以上をモンゴル高原の横断日誌に割く。野村が感じたみずみずしい感情―旅の合間のモンゴル語の学習、モンゴル人少女への思慕にも似た感情、かつての愛馬に似た馬との邂逅(かいこう)、荷ラクダの逃走、手数料などをふっかけられたこと、地元ガイドの怠惰、発掘不許可への憤激…を赤裸々に記す。詳細な「フィールドノート」を残してモンゴル高原を旅した人物は、世界でも野村栄三郎が初めてだった。

 仏教の来た道を求めた野村と橘の旅路と、中央ユーラシアで躍起になって野生動物の研究を進める筆者のフィールドワークは、多くが重なってみえる。筆者がモンゴル西部のカザフ遊牧民と暮らした450日間を記録したフィールドノートには、失敗や葛藤や憤りの感情とささやかな成功体験が書きなぐってある。

 フィールドノートを書く時、また読み返す時、調査地でのつらさを忘れて自分自身に静かに深く、向き合えた。野村のノートに書き連ねられた体験は、100年もの時代を超えても共有できる価値があり、感情を同じくすることができる。

 2019年夏、「野村ルート」を実際に旅した。自動車でも6日間を要する1500キロの道のりだった。日記に記された滞在地、景色、地名に沿って進んだ。地名の多くが消滅しており、頼りは地元の古老や遊牧民の記憶と伝承による導きだけだった。それだけに日記に記述された通りの地物や地名の発見は代えがたい喜びと興奮であり、野村の道をたどる巡礼のような追憶の旅路だった。

 フィールドワークは、覚悟と忍耐で成長の体感値をもたらす数少ない特別な旅路なのだろう。ほぼすべてが卓上のデジタルで完結できる現代社会では、得ることが難しい。

 長引くステイホームや渡航制限のなか、時が流れても、デジタル化が進んでも、わき上がってくる人間の欲求にふと気づく。それは「旅のない暮らしはつまらない」である。(京都大白眉センター特任准教授)