鉄砲水で壊滅した柏原地区(1951年7月12日、現在の亀岡市篠町)

鉄砲水で壊滅した柏原地区(1951年7月12日、現在の亀岡市篠町)

 1951年7月11日、京都府亀岡町(現・亀岡市)は梅雨前線と低気圧の影響で大雨となった。朝の通勤、通学時間が終わったころ、山間部に治水とかんがいのために作られたダム「平和池」が決壊した。ダム下流の柏原(かせばら)地区は、鉄砲水が襲われ、壊滅的な被害を受けた。

 平和池は1949年、集落を流れる年谷川の上流部に、防災かんがいダムとして建設された。土の堰堤(えんてい)は、高さ約20メートル、幅約80メートルで、平和池は貯水量約22万トンの小規模なダム湖だった。

 51年7月11日、亀岡の時間雨量は66ミリ、2時間で100ミリを超えており、平和池がある山間部ではさらに猛烈な雨が降ったとされる。

 下流の柏原地区では、決壊前から年谷川があふれていた。そこを、平和池決壊による濁流が直撃し、橋は吹き飛び、民家や電柱は相次いで倒壊した。約80戸のうち半数が流失、残りは全壊または半壊した。地区の死者は75人になり、地元の小学校では8人の児童が両親を亡くした。濁流は下流の保津川に流れ込み、大阪湾で見つかった遺体もあった。

 現在、年谷川そばには、水難者慰霊塔と鎮魂の碑が立つ。碑には、犠牲者75人全員の名前が刻まれている。