マウンドに立つのは17歳になったばかりの少年。1950年8月23日、松山での広島戦。金田正一さんのデビューはサヨナラ負けだった▼高校をやめて入ったのは「弱小球団」といわれた国鉄スワローズ。だが、次の年から14年連続で20勝以上を挙げる。ありとあらゆる記録を塗り替え、69年10月10日に不滅の400勝を打ち立てる。それから半世紀となる直前の訃報だった▼スポーツでの番狂わせを指す「ジャイアントキリング」は、旧約聖書や「ジャックと豆の木」の話にも通じるといわれる。後に移籍するものの、文字通りの「巨人キラー」だった▼強者に一人歯向かう反逆者の趣である。巨人戦での勝利は「目立ち方が全然違った」。ハイライトは長嶋茂雄選手からの連続4奪三振か▼かつて一匹おおかみやアウトローめいて語られる投手がたくさんいた。「アンチ強者」に喝采を送った時代。その一人だったのだろう。巨人ファンの村松友視さんが数年前にパーティーで同席したときのことを書いていて、印象深い▼子どもの頃、ダブルヘッダーに続けて登板する金田さんに目をみはったと言うと「当たり前でしょ」。だが話の弾ませ方、軽くあいさつして途中で目立たぬよう会場を後にした姿に「往年の大人びた名投手の粋な雰囲気が漂っていた」と。