伏見工業高と日本代表のジャージーを手にする児玉さん。W杯でプレーする後輩らにエールを送る(宇治市小倉町)

伏見工業高と日本代表のジャージーを手にする児玉さん。W杯でプレーする後輩らにエールを送る(宇治市小倉町)

 ラグビーW杯日本大会で初の決勝トーナメント進出を決めた日本代表に、伏見工業高(現京都工学院高・京都市伏見区)のラグビー部出身で、難病を患う男性が熱いまなざしを注いでいる。高校時代もプレーはできなかったが、全国優勝を果たしたチームを裏方として支えた。後輩の田中史朗(ふみあき)選手(34)や松田力也選手(25)が世界の大舞台で躍動する姿に、「本当にすごいことで誇り」と声を弾ませる。

 徐々に筋力が衰える筋ジストロフィー患者の児玉貴志さん(36)=京都府宇治市小倉町。幼い頃からラグビー好きの父に連れられ、花園ラグビー場(大阪府東大阪市)などで伏見工業高の試合を観戦し、憧れを抱いてきた。
 同高に進学すると、担任でラグビー部監督だった高崎利明さん(57)=現京都工学院高副校長=に誘われ入部。病気の進行で満足に走れなかったが、練習の準備や部室の整理、試合のビデオ撮影など、できることに専念した。厳しい練習に耐える努力、体を張り続ける勇気―。仲間たちの懸命な姿を間近で見続け、「試合だけでは分からないプロセスの大切さに気付かされた」と振り返る。
 1学年後輩には田中選手がおり、「やんちゃ坊主でかわいがられていた」。児玉さんが2年生だった2000年度、チームは全国制覇を成し遂げたが、田中選手もメンバー入りした翌年度は府予選決勝で敗退。「本当に悔しかったけど、フミ(田中選手)はそれをばねに成長したと思う」。年齢の離れた松田選手とはトークイベントで言葉を交わしたことがあり、「高校時代からすごかった。日本代表になるべくしてなった」と話す。
 20代前半から車いす生活を送る児玉さん。「病気への不安やつらい出来事もあるけど、高校日本一や(9月28日の)アイルランド戦勝利のように、生きていれば大きな感動がある。ラグビーを通して多くの出会いがあり、心の支えになっている」と実感を込める。