きむら・いくじろう 1948年生まれ。小学2年で長刀鉾の囃子方に。長刀鉾囃子方副代表、祇園祭山鉾連合会理事、副理事長を経て2019年から現職。悉皆(しっかい)屋「万足屋きむら」3代目

 生祥小(現在は高倉小に統合)2年生で、長刀鉾の囃子(はやし)方として初めて祇園祭の行事に参加させてもらいました。父も子供の頃、船鉾の囃子方をしたようです。特に祖父がお祭り好きでした。小学生の私の手を引き、町会所でのお稽古に付き添い、横の部屋で練習が終わるまで待っていてくれました。

 鉦(かね)方で巡行に参加した時、鉾があまりにも揺れるので、鉾の真木(しんぎ)にくらいついていたのを思い出します。

 私が囃子方の会に入った1956(昭和31)年から前祭(さきまつり)巡行が、四条寺町を北上して御池通のルートに変わりました。御池通はそれまで巡行していた松原通より相当広く、歩行者天国のような大勢の見物客の中を山鉾が進んでいきました。

 三条寺町で、寺町通は少し東に振れています。大きな鉾は前進後退を繰り返し、やっと通過できました。当時の車方の技術に感心させられます。もっとも寺町松原、松原新町の細い道での辻(つじ)回しができる技術があったので、当然かもしれません。

 今の車方の技術はどうなのか。2年後の巡行に参加予定の曳山(ひきやま)・鷹山(たかやま)は、三条新町で辻回しをしなければならないのです。車方の技術を磨いて本番に臨んでほしいものです。

 56年から稚児の注連縄(しめなわ)切りが始まりました。寺町四条を上がった場所に注連縄が張られ、鉾の上から稚児が太刀を抜き、切り落としました。

 鉾の上で、10歳ぐらいの子供が真剣を振りかざして切るのです。よく問題にならなかったと思います。その後、四条麩屋町の斎竹(いみたけ)に注連縄を張るようになり、現在に至ります。

 この頃から祇園祭の観光化が進み始めました。前祭の寺町北上から5年後には河原町通を北上することになりました。新町通以外は広い通りを進むため、御池通に有料観覧席が設営され、ますます見物客が増加し66年に合同巡行になりました。

 7月24日に巡行していた9基の山・曳山は、前祭シンガリの船鉾の後ろを巡行するようになりました。どうしてこのようになったのか、あまり経緯がわからないのですが、高度経済成長の中、祇園祭で本業の仕事を2回も休めない、営業に差し支える、との考えもあったのではと思います。2014年、大船鉾の復元で後祭(あとまつり)の分離巡行が実現しました。

 地域の人々の祭として、昔の風情を残す宵山風景。本当にすばらしいのは毎年7月24日午前9時半、梅雨明けの青空のもと、朝日を浴びて進みゆく山、曳山です。なんてきれいな姿なのでしょう。残念ながら今年は見られません。その代わりに京都文化博物館で特別企画展「祇園祭」をご覧いただきたいのです。(祇園祭山鉾連合会理事長)