明智光秀公像

明智光秀公像

明智光秀たどったとされる亀山城から本能寺までの足取りを解説する湊さん(京丹波町曽根・道の駅「京丹波 味夢の里」)

明智光秀たどったとされる亀山城から本能寺までの足取りを解説する湊さん(京丹波町曽根・道の駅「京丹波 味夢の里」)

 戦国武将明智光秀の丹波攻めをひもとく歴史教室「明智光秀と丹波攻略」が4日、京都府京丹波町曽根の道の駅「京丹波 味夢の里」で開かれた。地元の府文化財保護指導委員、湊友三郎さん(71)が「本能寺の変」について話した。

 この日は3本立ての教室の最終講で、大河ドラマ「麒(き)麟(りん)が来る」の放送を受けて新たに設けた。織田信長を討つまでに光秀の軍勢がとったとされる行動を時系列で追い、亀山城から本能寺まで進軍した足取りや羽柴秀吉と戦った山崎合戦の敗因などを解説した。

 さらに光秀の心情を読み解き「ナンバー1に就くというよりは右腕として立ち回るタイプだったのでは」と推測。信長を討った背景には、大和の松永久秀や摂津の荒木村重など、周囲の武将の影響も大きかったのではないかと述べた。

 参加者は興味深げに耳を傾けた。同町下山の稲葉出さん(65)は「光秀の人間性を垣間見ることができた」と話した。