「道中は死体だらけ。兵隊より住民の方が多く、五体満足な死体はなかった」木本勇さん(大津市)

 沖縄防衛を指揮する第32軍司令部に出向し、首里城地下の壕(ごう)内で印刷事務を担当していた。だが、戦線は悪化し、所属した元部隊も激戦でほぼ壊滅。南部への撤退は死の道だった。軍の指揮系統はなく、ばらばらの後退。サトウキビ畑の合間を走り、米軍機の機銃から逃れた。途中の壕(ごう)では「住民を追い出す兵も見た」。民間人の犠牲の多さが目に焼き付く。約3カ月間、摩文仁の海岸に隠れたが、傷を負い、食糧は尽き、「もう戦う気は誰もなかった」。75年前の8月26日、敗戦を知らぬまま、米軍に白い布を振った。2017年、95歳の時に本紙取材に語った。

 終戦から75年目の夏を迎えます。戦争世代の体験者の証言や記録に触れる機会が減りつつある中で、全国の地方紙と連携しながら本紙と各紙の記者が取材してきた証言を過去の紙面から紹介します。また、戦時中、戦後の貴重な話や資料などの情報をお持ちの方は以下にお寄せ下さい。住所、氏名、年齢、連絡先を記載してはがきかファクス075(252)5454で〒604-8577 京都新聞社報道部「戦後75年企画班」へ。