幕府が営んだ「鷹ケ峯薬園」関連の遺構とされる井戸跡。取り壊しの可能性が高まっている(京都市北区)

幕府が営んだ「鷹ケ峯薬園」関連の遺構とされる井戸跡。取り壊しの可能性が高まっている(京都市北区)

井戸跡の隣接地に建つ薬園の説明板と石碑

井戸跡の隣接地に建つ薬園の説明板と石碑

 江戸時代に幕府が営んだ「鷹ケ峰(たかがみね)薬園」(京都市北区鷹峯藤林町)ゆかりの敷地で住宅開発が計画され、遺構の井戸跡が取り壊しになる可能性が高まっている。地元住民らでつくる団体や研究者が名残を惜しみ、「地域の宝」として事業者や市に保全を求める声も上げている。

 「京都の医学史」(京都府医師会発行)などによると、薬園は1640年に開かれ、110メートル四方の薬種畑で、将軍や天皇に献上された薬草などを栽培したという。井戸は管理した幕府医官・藤林道寿一族の旧宅にあったとされ、一帯は明治維新後に農地や宅地に転用された。

 井戸跡の敷地(約600平方メートル)は5月、市内の住宅開発事業者が正式に取得し、敷地内で空き家の解体工事に着手した。これを知った地元の自治会関係者やまちづくりに関わる住民らでつくる「鷹峯地域の歴史と文化を考える会」などは7月4日、事業者へ保全に関して、10日、市に土地の購入や史跡指定を求める要望書をそれぞれ提出した。

 要望書に名を連ね、近くに建つ説明板で解説文を記した京都女子大の中村武生非常勤講師は、薬園について、江戸の小石川薬園(現東京大の付属植物園)と並び、医学上の重要施設だったと強調。「近年は藤林家とともに小説に描かれ、注目されている。遺構の井戸跡は本阿弥光悦の旧跡や御土居(おどい)とともに、子ども向けの地域学習の場として活用できる」と指摘する。

 一方、井戸跡について、市は法的な規制がかかる指定・登録の文化財ではなく、「現状では対応が難しい」とする。事業者は「近年に活用が図られていた実態は確かめられず、事業性の観点からも現地保存は難しい。当該部分の土地購入を保全の要望者にお願いし、工事は一時休止しているが、返事がなければ再開したい」としている。