7月6日 ジュースの素
 「渡辺(わたなべ)のジュースの素(もと)です もう1杯♪」。耳の奥に残る喜劇王・榎本健一の歌声。ジュースの素は1958年発売、1袋5円の安さで60年代には全国的な人気に。わが家の粉末飲料は「まちにメロンがやってくる♪」の春日井シトロンソーダでした。水を注げば緑の泡が一気にあふれ、甘い香りが鼻腔(びこう)をくすぐる。氷を放り込んで、くいっ。後に人工甘味料の問題等で衰退しますが、“もう一杯”を飲めたうれしさは忘れられません。

7月7日 カルピスだっ
 
「初恋の味忘れちゃいやよ♪」と高峰秀子が「銀座カンカン娘」で歌う飲み物はカルピス。1949年の歌ですが、私が知っていたのは70年代、オズモンド・ブラザーズの「カルピスだっ♪」でした。希釈して飲む乳酸菌飲料は他にコーラス、ミルトン、ハイカップなどがあり、夏のわが家の上品でぜいたくな飲み物で、来客中心に供された。当時個人的にはうれしいお中元第1位。今日はカルピスの誕生日。19年生まれの101歳です。

7月8日 ラムネ
 
坂口安吾の傑作エッセー「ラムネ氏のこと」には詩人の三好達治が「ラムネー氏なる人物が発明に及んだからラムネと言ふ」と断言し「大笑した」とあります。が、元は無論レモネード。英語っぽく(?)発音してみると、なるほどラムネと聞こえます。瓶の中のガラス玉を炭酸のガス圧で栓にするという発明は画期的かつ愉快。くびれある独特の形状の瓶に木製の玉押しを当て、バンッとたたく時の快感を手のひらは覚えています。

7月9日 サイダー
 
共同井戸に誰かが冷やしたサイダーを兄が欲しいとさめざめ泣き、慌てて1本買いに走ったと母が述懐する。1950年代の話。私の中のサイダーは地蔵盆の立役者で、お供えの中で輝いて見えた。本来の語はリンゴ酒を指しますが、日本では香りつきの甘い炭酸飲料のこと。ちなみにリボンシトロン、キリンレモンは(言葉通り)かんきつ系フレーバーでサイダーとは名乗りません。「サイダーの泡少年をかけのぼる」(高橋邦夫)。

7月10日 ウルトラマンの日
 
プラッシーは武田薬品工業の子会社のオレンジ果汁入り飲料で、米穀店が配達しました。私が「武田」名を刷り込まれたのはこの甘酸っぱい味と、日曜午後7時のテレビ番組「タケダアワー」による。今日はその大ヒット作「ウルトラマン」の日。1966年、放送開始1週間前の記念イベント中継日です。ちなみにその30分後は「不二家の時間」。『オバケのQ太郎』『パーマン』が放送され、こちらではネクターを刷り込まれた。

7月11日 コカ・コーラ
 
「スカッとさわやか♪」や「そのままでいいのさ♪」。コカ・コーラほど大量のCMで爽やかを描き続けた清涼飲料を知りません。今はネット上で見られる、特に1960~80年代作品は秀逸。サーフィン、スキー、ディスコ…。加山雄三、ピンキー、ビリー・バンバン、松本孝美…。時間も予算もかけたドキュメント仕立ての映像に胸が躍る。未来への自信に満ちた笑顔、あんな暮らしでいたい、と今見ても思わされてしまうのです。

7月12日 クリームソーダ
 
「すいっとしたい」(すっきりしたい)が口癖の母の好物はクリームソーダ。喫茶店に入ると頼むのは昔も今もこれです。メロンソーダにアイスクリームを乗せ、サクランボを添えた、あれ。必ず「ちょっと飲むか?」と子や孫に聞く。同行の私の定番はレモンスカッシュでした。小さい頃、彦根や京都のデパートなどで母と過ごした特別な時間。味覚は舌に残っています。「一生の楽しきころのソーダ水」(富安風生)。

 

~本物のクリームソーダ~

 

<文 澤田康彦 絵・題字 小池アミイゴ>

 だいぶ前、滋賀の母が東京を訪ねてきた時のことです。孫2人を連れ散歩に出て、すいっと(すっきり)したくなり、とあるホテルの喫茶で一休憩。いつもの調子でクリームソーダを探したがメニューにはない。ウエーターに聞くと「できます」。が、10分後にやってきたのは「本物のメロン果汁のソーダに本物のアイスクリームに本物のメロンが刺さった」飲み物だったそうです。お勘定は1杯3千円超。孫の分を合わせ1万円以上。

 世間体を十分気にする母なので、平然とした顔で支払ったんだろうと想像し、ちょっと笑ってしまったぼくですが、このホテルはダメですね。それにしてもマスクメロンでも使ったのかな。そんな“クリソー”があるなんて! 時は流れました。

 さて、この1週間の1面コラムを振り返ってみると、粉末ジュースで「もう1杯を飲めたうれしさ」とか、カルピスが「上品でぜいたくな飲み物」とか、サイダーを「兄が欲しいとさめざめ泣き」とか。若い人が読んだら、ははあサワダさんちはずいぶん貧しい暮らしを…なんて思われるかもしれません。

 それは半分は正しいのでしょうが、あの時代―1950~60年代―はまあ、どこもこんなであったと体感的に捉えております。つまりほぼみんな大概貧しかった。よく言えばとてもつましかった。我慢上手でした。

 ぼくは45年の敗戦から12年後、一回りして生まれた次男坊。物がない家に家電が増えていくのをわくわく目撃してきました。冷蔵庫やテレビ。それにより大きく変わったのが清涼飲料だと思います。「冷え冷え」「さわやか」は子どもを魅了し続けたのです。

 書いていない飲料はまだいっぱい。ミリンダ、ペプシコーラ、バヤリース、ファンタ、オロナミンC、スプライト、カナダドライ、ミスター・ピブやドクターペッパー、なっちゃん…一つ一つに何かしらの思い出がある。

 ところであのホテルの飲み物。「本物のクリームソーダはあんなんと違う」と母は今でもこぼします。「色が薄い」「サクランボもない」「味も覚えてへん」。やっぱり濃い緑色で、ラクトアイスに赤い(缶詰の)サクランボが添えられているあまーいのが、すいっとするんですよねー。(編集者)

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澤田康彦 さわだ・やすひこ 1957年生まれ。編集者・エッセイスト
小池アミイゴ こいけ・あみいご 1962年生まれ。イラストレーター