「天才」と称された木上さん。類まれなる才能で世界中のアニメファンをとりこにした

「天才」と称された木上さん。類まれなる才能で世界中のアニメファンをとりこにした

初めて木上さんが描いた絵を見たときの驚きを振り返る本多さん

初めて木上さんが描いた絵を見たときの驚きを振り返る本多さん

 「天才」と呼ばれた木上益治(きがみよしじ)さん=当時(61)=は、1970年代にアニメーターとしての歩みをスタートさせた。アニメ製作の本場、東京で比類のない作画力と斬新な発想力を発揮し、90年代初頭に京都に移って以降も世界中のファンをとりこにする京都アニメーションの支柱であり続けた。仲間たちはその才能に圧倒され、時にもがきながら、大きな背中を追いかけた。

 1979年、物静かな青年が、国民的アニメ「ドラえもん」を手掛けるシンエイ動画(東京都西東京市)を訪れた。「すごい絵を描く人が来たよ」。当時の社員で現在は「エクラアニマル」(東京都西東京市)に在籍する本多敏行さん(69)は、隣の席にいた社長から声を掛けられた日のことをはっきりと覚えている。木上さんが会社に持ち込んだスケッチブックには、米国のファンタジーアートの巨匠フランク・フラゼッタを彷彿(ほうふつ)とさせる人物画が描かれていた。「こんな世界観を表現できる人はどこにもいないと思った」と本多さん。すぐに雇うよう、社長に進言した。

 木上さんが最初に担当したのは、キャラクターの動きを決める原画を基に何枚もの絵を描く「動画」の仕事だった。新米アニメーターが任される基本的な作業だが、木上さんの仕事ぶりは、第一線で活躍する本多さんの期待を大きく上回るものだった。