京の夏はいつもなら祇園祭とともにやって来る。今夜は前祭(さきまつり)の宵山、あすは山鉾巡行と、最高潮を迎えるはずだったが、コロナ禍の自粛で様子が大きく異なる▼神輿渡御(みこしとぎょ)や山鉾巡行を取りやめ、お囃子(はやし)の稽古も山鉾建てもない。昨夏は前祭、後祭(あとまつり)合わせ50万人を超える人出でにぎわったのに、そんな熱気も興奮も期待できない。仕方あるまい▼山鉾町では駒形ちょうちんが祭り情緒を醸し、ご神体を飾って厄よけちまきを販売する町会所は多い。だが町衆の心意気を表す山鉾の雄姿はなく、コンチキチンも響かない▼梅雨明けも今しばらくはお預けのようで、前線が居座って各地で豪雨被害を引き起こしている。もともと疫病や天災で不慮の死を遂げた人々の怨霊を鎮め、厄災をはらったのが始まりとされる。こんな時こそより盛大に催すべきとの声もあり、苦渋の決断だったと察する▼祇園祭は幾多の困難を乗り越えてきた。応仁の乱による都の荒廃や明治期のコレラ流行、先の大戦などで山鉾巡行は中断、延期されたが、その都度、知恵を絞って祭事を刷新し、継承してきた。今は我慢のしどころか▼祇園祭を調査、考察した都市人類学者の故米山俊直氏は、繰り返しよみがえったその歩みを「不死鳥のよう」と自著「祇園祭」に記した。碩学(せきがく)の言葉が心強い。