いしだ・あゆう 1973年生まれ。メディア社会学、消費文化論、広告文化論。京都精華大を経て2019年から現職。著書に「ミッチー・ブーム」(文春新書)「図説 戦時下の化粧品広告」(創元社)。

 新型コロナウイルスの感染拡大防止で、私が勤める大学でも通常講義が「オンライン」に変わった。「オンライン講義」と言えば新しく聞こえるが、その歴史は明治時代の「講義録」に行き当たる。

 「正規」の学校に入学し、教育資格(学歴)を取得し、職業資格(弁護士、医師、学校教員)を得るルートは、少数の男子エリートに限られていた。長期の専門教育には、時間とお金が必要だが、当時の日本はより多くの人材が必要だった。そこで用意されたのが、職業資格試験だ。

 試験に受かれば専門的職業に就ける制度に、立身出世を夢みた数多くの青年たちがいた。今日の大手私大の前身である私立専門学校は、専門家育成を担うこの制度の受験「予備校」として作られたものが多い。

 1880(明治13)年に明治法律学校(明治大)と専修学校(専修大)、81年に東京法学校(法政大)、82年に東京専門学校(早稲田大)が生まれ、効率よく学べる教科書である「講義録」が作られた。

 家庭の事情などで上京できない就学希望者は多く、講義録による通信教育事業も始まった。学業を断念せざるをえなかった青年に、講義録は画期的な独学メディアとして歓迎されたという。

 私は元々、女性雑誌や広告表象の研究をしてきたが、こうした通信教育の歴史は以前参加した共同研究で学んだ。成果は「ラーニング・アロン――通信教育のメディア学」(佐藤卓己、井上義和編、新曜社、2008年)にまとめられている。

 「いつでも、どこでも、だれでもできる」。通信教育の理念は、何らかの事情で学校などの教育施設に通えない個人がメディアを利用して行う「孤独(アロン)な学習(ラーニング)」である。一見可能性を秘めた教育だが、「講義録」から現在の「e―ラーニング」まで、どんなメディア教育でも「孤独な学習」に人は挫折する、という研究結果が強く印象に残っている。

 「誰でもできる」という「過熱」効果で多くの人たちが参入するも、大半は孤独のなかで学習意欲の維持も難しく、自分の能力のなさを実感させられる形で勉学熱を「冷却」していく。必要なのは、メディア教育以外の何か、例えば人とのつながりによるサポートなのだ。

 コロナ禍で、予期せず進んだ「オンライン講義」だが、考えなければならないのは「孤独な学習」で挫折しかねない学生の存在だろう。「講義」に挫折し、勉学への意欲が失われていないだろうか。それは「オンライン講義」が可能となったメディア教育の現在でも、克服できない課題である。(桃山学院大教授)