高校時代の康弘さんが通学に使った橋。海に近く、かすかに潮の香りが漂う(6月23日、兵庫県赤穂市)

高校時代の康弘さんが通学に使った橋。海に近く、かすかに潮の香りが漂う(6月23日、兵庫県赤穂市)

 18日で発生から1年を迎える京都アニメーション放火殺人事件の犠牲者の中には、「氷菓」「らき☆すた」など京アニが誇る「学園もの」を手掛けた監督、武本康弘さん=当時(47)=もいた。兵庫県赤穂市の実家には、今も父保夫さん(77)が暮らしている。「事件以来、心にぽっかり空洞ができたまま」。至る所に息子の思い出が残る街で、喪失感をかみしめている。

■康弘君のいない街、心に空洞

 取材に応じた保夫さんは、1年前よりやつれて見えた。ただ、卓越した画力で友人を驚かせていた康弘さんの青春時代に話題が及ぶと、表情はほんの少し和らいだ。「僕は康弘君の将来を楽しみにしていたんだ」。保夫さんは、必ず康弘さんを「君」付けで呼ぶ。「康弘君のことは僕より偉いと思ってきたからね」
 康弘さんを失ったあの日から1年。この間、「息子の背中」はむしろ大きくなる一方だった。
 中華料理店を営んでいた保夫さんは、いつも息子のそばにいられた訳ではない。だが10代の康弘さんが居間で本を読んだり絵を描いたりする姿は、鮮明に脳裏に残っている。だからアニメーターの道へ進みたいと聞いた時も驚かなかった。「自分の道を行くんだなと思った」と振り返る。
 康弘さんは20歳の時に京アニで働き始めた。「20代前半は特に忙しそうだった。帰省中も仕事を抱えていた」。家族がテレビの前でくつろぐ正月にも、黙々と机に向かって絵を描いていた。その背中からは「好きなことをやっている」という熱意が伝わってきたという。
 ただ息子から仕事の話を聞くことはなかった。「携わった映画の招待券を送ってくれていたけれど、康弘君が会社の役員になっていたのも知らなかった」。康弘さんは社運を懸けた作品の監督を務め、ヒット作を連発していた。父の知らない間に重責を担う立場になっていた息子。突然、会うことはかなわなくなった。
 事件の解明は少しずつ進んでいる。関心がないと言えばうそになるが、たとえ全容が明らかになっても、保夫さんの心の空洞が埋まる訳ではない。「康弘君が帰ってくるもんでもないしね」。訥々(とつとつ)とした口調に、抱え続けてきた悲しみがにじんだ。