男性社員が入社前に描いた絵。「緻密な絵が多く、これでも線の数が少ないようだ」と父親はいとおしそうに見つめた

男性社員が入社前に描いた絵。「緻密な絵が多く、これでも線の数が少ないようだ」と父親はいとおしそうに見つめた

 あの日から四季が巡っても、抱えた悲しみは癒えない。18日で発生から1年となった京都アニメーション第1スタジオ(京都市伏見区)の放火殺人事件。犠牲者の親たちは喪失感にさいなまれながら、突然未来を絶たれたわが子に思いをはせた。

 「もっとやりたいことがあっただろう。あの世で悔しがってないかと思うと、苦しくて仕方がない」。30代の息子を失った両親が、匿名を条件に初めて京都新聞社の取材に応じた。今も涙と共に遺影に話し掛ける日々。「運命だったと思うしかない」と、感情を抑えるように繰り返した。

 あの日、自宅でテレビを見ていると突然テロップが流れた。「京都のアニメ会社で火災」。驚いて息子の携帯電話にかけたが、呼び出し音は鳴らず、胸騒ぎが収まらなかった。「よくおなかを壊すから会社を休んでいるかも」。無事の知らせを待ったが、深夜に京都府警から届いた連絡は、DNA鑑定への協力依頼だった。

 京都に駆けつけた母親は息子が暮らしていたマンションへ向かった。「間違って寝ていないか」。かすかな期待を胸に扉を開けたが、姿はなかった。自宅にいた父親は顔の左側がまひして動かなくなった。「眠っていても目が開いていた」。涙も止まらなかった。

 幼い頃から絵や漫画が好きな息子だった。美術はいつも好成績。友達と同人誌を作るほど熱中していた。一度決めたことは曲げない芯の強さがあり、親の反対を押し切ってアニメの専門学校に進み、念願だった京アニに合格。社内で作画担当として将来を嘱望されるまでに成長していた。

 最後に会ったのは去年の正月。父親は「にこにこしていてね。仕事の話はしなくても、充実していると伝わってきた」と振り返る。ゆっくり話せなかったが、仕事を生きがいにする姿を頼もしく感じた。だからこそ、志半ばで逝った息子がふびんでならない。

 百日法要で、菩提(ぼだい)寺の僧侶から「今日からはこれまで通り元気に生活するのが一番の供養」と言われた。その言葉を支えに、前を向いて暮らそうと心掛けてきた。「運命だった」と自分に言い聞かせないと、押しつぶされそうになる。

 両親は、息子がアニメ作りに情熱を注ぎながら生きた場所をしっかり記憶に刻みつけたいと思い、18日を京都で過ごした。親の前では絵を描こうとしないシャイな性格だった。「一度でいいから描いている姿を見たかったな」。かなわないと分かりつつも、願いを抱き続けてしまう。