平和祈念碑に折り鶴を捧げる中小路市長(左)=長岡京市東神足2丁目・JR長岡京東口

平和祈念碑に折り鶴を捧げる中小路市長(左)=長岡京市東神足2丁目・JR長岡京東口

戦没者追悼之碑前で手を合わせる日下さん(長岡京市天神2丁目)

戦没者追悼之碑前で手を合わせる日下さん(長岡京市天神2丁目)

 京都府乙訓地域では唯一の空襲となる「神足空襲」から75年を経た長岡京市で19日、市内の平和祈念碑と戦没者追悼之碑でそれぞれ、献花式が行われた。行政や遺族会の関係者が出席し、平和と鎮魂の祈りを捧げた。

 1945年の神足空襲では、同市神足地区の工場などが米軍の銃撃を受け、16歳の女性が死亡し、数人がけがをした。市は空襲のあった7月19日を「平和の日」と定め、講演会などの催し「平和を考えるフォーラム」を毎年開催している。今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、出席者を限定した上で献花式のみを実施した。

 神足空襲で機銃掃射を浴びた煙突を5分の1の大きさで復元した「平和祈念碑」(同市東神足2丁目)では、中小路健吾市長や地元住民ら4人が黙とうに続いて献花し、市内の保育所の子どもや住民が作った千羽鶴を捧げた。

 長岡天満宮の境内にある「戦没者追悼之碑」(同市天神2丁目)の献花式には、市戦没者遺族会会長の日下邦晴さん(78)が参加。夏の日差しが照りつける中、目を閉じて静かに手を合わせた。

 国文学者だった日下さんの父は、海軍の兵士として戦地に赴き、終戦の年にボルネオ沖で命を落とした。「シンガポールにいた父から手紙が届き、生き延びているのではないか、淡い期待を抱いていた」が、家族のもとに届いたのは、小さな木だけが入った遺骨箱だった。

 戦後75年で戦争を体験した人たちは減っているが、日下さんは「遺族会は、あくまで平和を願い、反戦を誓うための集まりだ。その思いをこれからも広く伝えていきたい」と力強く語った。