いかなる土地を選ぶべきか、家屋に住むべきか。人生の大問題である。阪急電鉄の創業者である実業家小林一三は、前身・箕面有馬電気軌道の開業前の1909(明治42)年、これをテーマとする住宅地案内を発行した▼文学青年だっただけに、格調高い。「空暗き煙の都に住む大阪市民」に対し、「衛生状態に注意する諸君は、都会生活の心細きを感じ…田園趣味に富める郊外生活を懐(おも)ふ」と語り掛け、沿線への居住を誘った▼鉄路を敷くとともに、周辺の住宅開発を進めていく事業展開の嚆矢(こうし)とされる。評伝によると、大阪市内に人口が密集するのは、そこにしか移動手段がないためだ、と見抜いていた▼その後、箕面有馬電軌から分岐するかたちで、大阪-神戸間の路線を新設した。人口の多い海側で先に開業していた競争相手は、山手を走る後発の新線を脅威と感じなかったとされる▼これが現在の阪急神戸線で今月、開業100周年を迎えた。沿線には良好な住宅地が広がり、先見の明を感じさせる▼大阪梅田駅などの記念展示に、開通を知らせる当時の新聞広告がある。「綺麗(きれい)で早うて。ガラアキで眺めの素敵(すてき)によい涼しい電車」との文句も小林が考えたという。コロナ禍にあって、いかなる電車に乗るべきか、何をすべきか、示唆するようでもある。