林尹夫。戦死する約1カ月前の1945年6月中旬に山陰の基地で撮られた(立命館大国際平和ミュージアム提供)

林尹夫。戦死する約1カ月前の1945年6月中旬に山陰の基地で撮られた(立命館大国際平和ミュージアム提供)

海軍搭乗機の前に座る林(右)=1945年6月中旬撮影、立命館大国際平和ミュージアム提供

海軍搭乗機の前に座る林(右)=1945年6月中旬撮影、立命館大国際平和ミュージアム提供

 第2次世界大戦で日本が敗戦する直前の1945年7月28日未明、四国沖で偵察飛行中の23歳が敵機の攻撃を受け、消息を絶った。若者は京都帝国大の文学部史学科で学ぶ林尹夫(ただお)。戦局悪化の兵力不足を補う「学徒出陣」で動員された林は戦死する直前まで、日記をつづっていた。

■奇跡的に残ったノート

 旧制第三高等学校(現・京都大)時代の40年4月に始まる日記のノート4冊は今、立命館大国際平和ミュージアム(京都市北区)に所蔵されている。「奇跡的に残った貴重な資料」。田鍬美紀学芸員は話す。「海軍時代のノートは戦友が上官からの没収を免れて隠し持ち、遺族に届けられた」

 学問の道を志した林。日記には、自分を奮い立たせながら読書に励む様子や、恋愛と性にあこがれる心情が記されている。それだけではない。早くに敗戦を予測していたことや日本への失望が、軍の厳しい訓練の中で隠さずに明かされる。

 「軍国主義が幅を利かせて本音で語りにくい時代に、林にとって日記を書くことが生きている証しだった。だからこそ軍の検閲も恐れず本心を書き連ねた」と学習院大の斉藤利彦教授(教育史)は指摘する。

 この日記の全文が戦後75年にあわせ、林の命日に当たる先月28日に刊行された。誠実に生きようとした若い命は、何を思いながら夜空に散ったのか。心の軌跡の全容が、悲惨な戦争の記憶が薄れかけた現代で重く響こうとしている。

■「俺は軍隊に奉仕するものではない」

 国内外の文学書や哲学書に広く接した林は、学問への熱い思いを学生時代の日記につづる。しかし学徒出陣で1943年12月に徴兵され、海軍の航空隊に入る。

 軍の生活を送る中でも日記を書き続けた。

 <俺は軍隊に奉仕するものではない。俺は現代に生きる人間のために働く。しかし俺は何もよき軍人になるために生きるのではない。その点に俺は僅(わずか)な自由意志の途(みち)を見出すのだ>

 同盟国のドイツが45年5月に無条件降伏。日本の戦況は厳しさを増した。

 <必敗の確信、あ々実に昭和十七年頃よりの確信が今にして実現するさびしさを誰か知らう>

 早くから敗戦を予測していたことを明かした上で、迫る死を受け入れていく。

 <俺は軍隊に入つて国のためにといふ感情をよびさまされた事は少くも(原文のまま)軍人諸君を通じてといふ限り皆無である。(中略)俺が血肉をわけた人と親しき人々と美しい京都のために戦はうとする感情がおこる>