ALS発症前の林優里さん(1992年2月、遺族提供)

ALS発症前の林優里さん(1992年2月、遺族提供)

 神経難病の筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性に対する嘱託殺人容疑で医師2人が逮捕された事件で、亡くなった京都市中京区の林優里(ゆり)さん=当時(51)=の男性主治医が29日までに、京都新聞社の取材に応じた。栄養摂取の中止による安楽死を求めることがあったと明かす一方、「彼女は少しでも長く良い状態で生きたいと、最後まで治療法の情報を集めていた」と、生と死を見つめ続けた姿を語った。

 主治医はヘルパーやケアマネジャー、薬剤師、理学療法士ら約30人と支援チームを結成、約7年間の在宅療養を支えた。チームは林さんと話し合いを重ね、最適なケアの在り方について模索。ベッドのそばでクラシック音楽を生演奏したり、動物好きの林さんのために猫や犬を連れてきたりしたといい、「彼女が生きるためにできることは何か、歯車を合わせる作業をずっと繰り返してきた」と振り返る。

 海外生活も長く、活発な性格だったという林さんの心境を「ほとんど弱みは見せなかったけど、以前のように行動したい、どうしてできないのかという複雑な思いがあった」と察する。それでも林さん自身、治療に前向きな姿勢を見せていた。インターネットを使って最新の薬などを調べ、主治医に相談を持ち掛けることもあったといい、「生きるために色んな努力をしていた」と強調する。

 「テニスも大好きだった。錦織圭のファンで、ウィンブルドンを夜中に見て。洋服も好きで、きれいなパジャマを着ていたし。笑顔がすごくチャーミングで、ヘルパーさんたちも癒やされました」

 一方で、「病状が進めば進むほど、死を思う時間は増えていったのだろう」と打ち明ける。胃ろうからの栄養摂取をやめて安楽死したいと訴えられたこともあったが、日本では安楽死が法的に認められないことなどを伝え、思いとどまるよう説得したという。

 中でも、スイスでの安楽死をテーマにした昨年6月放送のNHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」を見て、自殺ほう助への思いも強めていった。「難病、とりわけALS患者は生と死を思うのが日常だと思う。彼女は死についても、自分で決めたいという意思が強い人だった」と話す。

 林さんが会員制交流サイト(SNS)で安楽死について情報交換していることは、知人を介して耳にしていたが、嘱託殺人事件に至るとは想像もしていなかったという。「いまだに信じられない。24時間ヘルパーがいる中でこんなことをするなんて。言葉も出ない」と述べ、苦渋の表情を浮かべた。

 社会には支援を受けて暮らすALS患者が多くいるにもかかわらず、事件によって患者への偏見が広がることを強く危惧する。

 「この状態で生きていても仕方がないと社会から思われると、その人は生きる意欲をなくしてしまう。行政を含めて支援体制は十分に組むことができる。病状も知らない、実際の介助をしたこともない人が、イメージだけで語ることを、どうすれば止められるのか。どんな状況でも、『生きる選択』ができる社会にしなければいけない」