8世紀の半ば、聖武天皇が現在の京都府木津川市加茂町に恭(く)仁(に)宮(きゅう)を造営した。4年余りの宮で、周囲の京域も不確かで「幻の都」と呼ばれていたが、近年の発掘調査で、その姿が浮かんできた。ただ謎は深まるばかりだ▼本年度の調査で宮の中枢である大極殿院(だいごくでんいん)の南面が確定した。重要儀式を行う区画で、奈良市で復元中の平城宮大極殿院南門のような壮麗な門があったと思いきや、簡素な掘っ立て柱の塀。門があるべき中央に、なにも造られなかった可能性があるという▼大極殿院は天皇の権威を示す場所。なぜ他の宮と異質の造りになったのか。7世紀末から8世紀についての史書「続日本記(しょくにほんぎ)」からは、恭仁宮の造営に多大な出費を強いられたことがうかがえる▼大極殿などの建材は平城宮から移築されたが、回廊の一部は仮設で間に合わせ、南門が未完成のまま遷都したのではないかと調査担当者は考える▼楼閣や回廊を造ることができる技術者が不足していた可能性を指摘する研究者もいる。いずれにせよ、不安定な国家の状況がうかがえる▼当時の元号は「天平(てんぴょう)」。「天下和平」の意味も込めたとの説がある。天平文化が花開いた時代だが、長屋王の変、藤原広嗣(ひろつぐ)の乱など政局は乱れ、遷都が繰り返された。いま、平成から新しい時代へ。天下和平を望みたい。