戦前に建造された大型貨客船で、4年前に国の重要文化財となった船をご存じだろうか。日本郵船「氷川丸」。横浜市の山下公園桟橋に係留され、一般公開されている▼1930年に米国シアトル航路に就航し、喜劇俳優チャプリンも乗船している。太平洋戦争が始まると、海軍の病院船として南方戦線を往復。戦後は外地からの引き揚げ船に転じ、最後は北米航路に戻って60年に引退した▼今では横浜のシンボルとして親しまれるが、戦争末期に舞鶴市の軍港で連日の空襲に遭遇している。45年7月29日には上陸中の乗組員2人が爆弾の爆風で死を遂げた(高橋茂「氷川丸物語」)▼翌日は朝から米軍艦載機が大挙して襲来した。白い船体に赤十字マークが描かれた氷川丸は直撃を免れたが、周囲の艦船が次々に撃沈された▼舞鶴空襲は京都府内の空襲で最多の180人が犠牲になったとされ、海軍工廠(こうしょう)に動員されていた学徒が多数巻き添えとなった。75年の節目となった先日も、学友たちによって慰霊祭が営まれた▼若者が学ぶ機会を奪われ、爆撃で死んだ出来事を忘れてなるまい。民間の船舶まで軍に徴用され、傷病兵を収容して機雷の浮かぶ海を航行した時代があったことも。高齢となった空襲体験者の人生と波乱に富んだ氷川丸の航跡が重なって見える。