返還時、進駐軍から府立植物園に渡されたゴールデンキー(京都府立植物園提供)

返還時、進駐軍から府立植物園に渡されたゴールデンキー(京都府立植物園提供)

進駐軍の士官用住宅が立ち並ぶ植物園。。多くの樹木が伐採された(1957年2月、大芝生地付近)=植物園提供

進駐軍の士官用住宅が立ち並ぶ植物園。。多くの樹木が伐採された(1957年2月、大芝生地付近)=植物園提供

大芝生地でくつろぐ家族連れ。かつては付近に米軍士官用の住宅が建ち並んでいた(京都市左京区)

大芝生地でくつろぐ家族連れ。かつては付近に米軍士官用の住宅が建ち並んでいた(京都市左京区)

 京都府立植物園(京都市左京区)に保管されている通称「ゴールデンキー」。米軍から返還時に渡された木製の鍵型モニュメントだ。刻まれた「DATE 12 DECEMBER 1957(1957年12月12日)」が、園にとっては本当の終戦だった。

 樹木を管理する小川久雄さん(60)と園内を歩いた。「幹の太さが違うでしょう。戦前と返還後に植えられた木との違いが一目で分かるんです」。幹周り3メートル以上あるヒマラヤスギやムクノキがある一方、サクラは比較的若い樹木が多い。

 園は1924(大正13)年の開業。終戦後の46年10月、24ヘクタールの敷地の大半は米軍に接収され、森は住宅や学校に変わった。「『日本人が夜襲を仕掛けてきた時に見通しが悪い』として伐採された木もあったようです」。やるせない表情で語った。

 返還時、2万5千本以上あった樹木は6千本に減っていた。高山植物の「ロックガーデン」は取り壊され、池の水は虫が湧くとの理由でせき止められ、「花菖蒲(しょうぶ)園」も全滅。府は一時、再生不可能と判断し、遊園地にする案まで浮上した。

 府を思いとどまらせたのは、再開を待ち望む府民の熱意だった。敷地内でチューリップやアサガオなどの特別展を開催すると、37日間で計25万人が来園。樹木の寄贈も相次ぎ、61年4月24日、再開にこぎ着けた。

 記者は2004年から1年半、園を担当し、職員から「先輩に『木を簡単に切るな』と言われた」との思い出話を聞いた。接収の影響を身にしみて感じていたのだろう。06年から4年間、園長を務めた松谷茂名誉園長(70)に話を聞くと、意外な言葉が返ってきた。

 「米軍将校にも助けられたんです」。過去の資料を調べ、将校2人が「自然を残すべき」と提案していたことを知ったという。川端康成の小説「古都」に登場するクスノキ並木など、戦前の面影をとどめる風景が今も残っている。「府民の思いと、自然を理解した米軍将校。どちらが欠けても園は復活しなかった。日米の先人が守った緑の歴史を引き継がないといけない」。

 14年前、府と京都市、経済界は植物園をサッカースタジアムの候補地として検討したことがあった。松谷さんら当時の園職員は反発したが、もし強行されていれば、今度は日本人の手で多くの樹木が伐採されていただろう。来園者数全国一を誇る植物園にも、歴史の風化は忍び寄っている。