原文は久保田淳校注『新日本古典文学大系39』(岩波書店)より転載。原文の表記を一部を修正している。

 「賀茂祭が終わってしまえば、その後の葵は用済みだ」といって、ある人が、御簾に飾り付けた双葉葵をすべて取ってお捨てになられましたのを目の当たりにして、あまりに風情もなく感じたが、いや立派な方のなさることだから、そういうしきたりなのかなと思っていたところ、周防の内侍が「いくら懸けても甲斐のないものは、一緒に見ることのなかった、御簾(見ずと御簾の掛詞)の葵の枯れ葉であるなあ」と和歌を詠じたのも、母屋の御簾に懸かった葵の枯れ葉を詠んだ旨、彼女の私家集『周防内侍集』にも書いてある。古い歌の詞書(ことばがき)(『実方集』か)に、「枯れた葵に差し挟んで贈った」ともあります。

 『枕草子』にも、「過ぎ去った昔が恋しく偲ばれること 枯れた葵」と書いてあるのは、うまいなあ、道理至極と共感する。鴨長明の『四季物語』にも、「美しい玉簾に後の葵が留まっている」と詠んでいる。

 自然と枯れて朽ち果てるのさえ惜しまれるのに、未練も名残もなく、どうして取り捨ててよいものか。

「異形賀茂祭絵巻」(京都産業大学図書館蔵)葵祭の行列を異形異類に見立てて描いた趣向の絵巻。本図は模本。原本は19世紀前半成立で、出光美術館所蔵。葵祭に何を見るか。この絵を兼好が見たら、なんというだろう?
「異形賀茂祭絵巻」は京都産業大学図書館「貴重書電子展示室」で閲覧できます。   http://www.kyoto-su.ac.jp/library/kichosyo/index.html

 「祭のあと」慕う心に既視感​

 この『徒然草』原文は、歌人正徹が書写した上下2冊の最古写本を底本とする。末尾に永享3(1431)年4月12日に写し終えたと誌し、正徹の自署と花押がある。

 その下冊は「花はさかりに、月はくまなきをのみ、見る物かは」(一三七段)と始まる。正徹が兼好天才の証しと褒めた一節だ。「すべて、月花をば、さのみ目にて見る物かは」、「月の夜は、閨(ねや)のうちながら」その月姿を想像するだけでいい、などともある。

 そもそも「よき人は、ひとへに好(す)けるさまにも見えず、興ずるさまもなほざり」なものだ。執着のないさりげない鑑賞こそ、都人の美徳だと兼好は書く。

 それに比べて「片田舎の人こそ、色濃く」楽しみをむさぼり過ぎだ。花見に殺到して酒を飲み、雪が降れば勇んで降り立って、べたべた足跡を付けたりする。よき都人のように「よそながら見る」スタンスがとれない。

 「さやうの人の祭見しさま」など、珍妙で目も当てられぬと兼好は続ける。京都で「祭」といえば、賀茂社の葵祭のことである。『枕草子』が描くように、「四月、祭の頃いとをかし」。「木々の木の葉まだいと繁(しげ)うはあらで、若やかに青みわたりたるに、霞(かすみ)も霧もへだてぬ空の気色」も一興。少し曇った夕刻から夜にかけ、ほととぎすが、まだたどたどしい忍び音を届ける。もう最高の心持ちと、清少納言は祭の季節を讃(たた)えた。

 ところが兼好の目に映る「片田舎」の連中は、桟敷に席取りの人を置き、つなぎに奥で酒宴をしたり、囲碁や双六(すごろく)に興じたり。やれ来たぞ。行列見頃の時分になると、今度は大騒ぎで桟敷に押し寄せる。「一事(ひとこと)も見洩(も)らさじと」凝視し、「とあり、かかり」と物ごといちいちに声をかけ、「ただ、物をのみ見むとする」。

 対照的にやんごとなき都人は「眠(ねぶ)りていとも見ず」。若い下々も、後ろの列にいる人も「わりなく見んとする人もなし」。そもそも祭の風情とは、行列を「見る」ことではない。「何(なに)となく葵掛(あおいか)けわたして、なまめかしきに」、暗いうちから、ひっそり道ばたに到着する牛車。どなたがお乗りかと推察するのが尽きせぬ楽しみだ。

 いずれ隙間もないほどぎっしり立て並べられる貴族達の車だが、日暮れ時には「いづかたへか行(ゆ)き帰(かへ)らむ」、いつしかみな退去して閑散となる。やがて桟敷の簾(すだれ)も畳も取り払われ、「目の前にさびしげになりゆくこそ、世の例(ためし)も思ひ知られてあはれなれ」。この哀愁こそ「祭見たるにてはあれ」と『徒然草』一三七段は語る。

 続く本段は、祭の本質が推移の美学にあると知るはずの「よき人」が、祭の後の葵は不用だとさっさと取り捨てるのはいかがなものか。そう問うて考証し、批判する。歌人の兼好らしく、平安時代の和歌の詞書(ことばがき)を二つ示し、おなじみの清少納言『枕草子』、鴨長明『四季物語』を挙げて詰めていく。

 ただし『枕草子』の原文には「過ぎにし方恋しきもの 枯れたる葵」とあって微妙に違う。また今日伝わる長明仮託の『四季物語』、『歌林四季物語』という二種の書物は、いずれも後世の偽書らしい。兼好の典拠はいささか不明だ。

 ところで人間の精神病理と時間との関係を、祝祭に対する期待や失望そして熱狂になぞらえて、「前夜祭(アンテ・フェストゥム)的」/「祭のさなか(イントラ・フェストゥム)」/「祭のあと(ポスト・フェストゥム)」と区切る議論がある(木村敏)。

 「片田舍の人」は、「祭のさなか」を興ずる心性、兼好は「祭のあと」の精神か。確かに『徒然草』は「何事も古き世のみぞ慕はしき。今様はむげにいやしうこそ成りゆくめれ」(二二段)と書き、「祭のあと」で過去を慕う。そして七一段では、「ただ今の人の言ふことも、目に見ゆる物も、わが心の中に、かかる事のいつぞやありしはと覚えて」、「まさしくありし心ちする」兼好自身を振り返り、「我ばかりかく思ふにや」と問いかけている。

 いろんな出来事にいつも既視感(デジヤビユ)を覚える、敏感すぎる自画像。恍惚(こうこつ)と不安? これって私だけ? 『徒然草』の理解に示唆的だ。

 

一条通(京都市上京区)​

道幅30メートルもあった一条大路は平安京の北限。一条戻橋から平安宮に沿ってさらに西へ延びる(京都市上京区)

 一条大路には、また別のイメージがある。「魑魅魍魎(ちみもうりょう)の通り道」。堀川にかかる一条戻橋は数々の怪異譚で知られる。それに、都の北限という物寂し気な雰囲気も重なり、この通りは、「百鬼夜行のメインストリート」として周知され、葵祭さえ怪異異形の行列を幻視するまでになったのかもしれない。

 そんな由来を思いながら、一条通を歩く。大路だったころの道幅には遠く及ばないが、その道沿いには、今風の家の合間に西陣織屋や老舗の古いたたずまいも残り、まさに「後の葵」の風情。平安から現代まで、京の深く重層した歴史に思いは至る。

下鴨神社地図

■あらき・ひろし

 1959年生まれ。専門は古代・中世文学。古典を通じた大衆文化研究も進める。著書に「徒然草への途」ほか。

■文遊回廊

 史跡などの歴史を物語でつなぎ、散策路を策定します(主催・京都文化交流コンベンションビューロー、古典の日推進委員会、京都新聞)