原文は柳井滋・室伏信助・大朝雄二・鈴木日出男・藤井貞和・今西祐一郎校注『新日本古典文学大系19巻』(岩波書店)より転載。原文の表記の一部を修正している。

 北山のなにがし寺は、なかなか山深く入った所であった。3月の末なので、京の桜の花盛りはどこも時期を過ぎてしまった。

 山の桜はまだ盛りで、奥へと進んでいらっしゃるにつれて、霞(かすみ)の立つさまもひとしお風情を増し、このような遠出もお慣れになっておらず、高貴ゆえに窮屈不自由な身の上でいらっしゃる光源氏は、目新しい思いで嘆賞なさった。寺の様子もまことしみじみと心にしみるたたずまい。峰高く岩に囲まれた奥深いところに、聖人は籠(こ)もり端座しておられた。

 登りなさって、自分が誰とも知らせず、たいそうひどく身をやつしていらっしゃったけれど、光源氏とはっきりわかるご様子なので、「ああ恐れ多いことよ。先日私をお召しになった方でいらっしゃいますか。今は現世のことを考えておりませぬので、験者としてのつとめもすっかりうっちゃり忘れておりますのに、どうしてこのようにお越しになったことでしょう」と驚き騒いで、微苦笑を浮かべて拝顔申し上げる。なんともまあ尊い高僧であった。

 しかるべき護符など作って源氏に飲ませ申し上げ、加持祈祷(きとう)などなさるうちに、すっかり日が高くなってしまった。

「都年中行事画帖」鞍馬花供養(国際日本文化研究センター蔵)「若紫」冒頭では旧暦の弥生の末、京の風景が描かれる。舞台は諸説あるが、鞍馬寺説を採りたい。絵は咲き誇る雲珠桜 「都年中行事画帖」鞍馬花供養は日文研データベースHPで閲覧できます。http://db.nichibun.ac.jp/ja/

張り巡らされた因果の糸

 桐壺巻で生まれた光源氏は、幼くして母桐壺更衣と死別。占いを踏まえた父桐壺帝の判断で賜姓源氏となった。亡妻を恋慕し似た人を求めて父帝が得た藤壺は、血縁もないのに桐壺更衣にそっくりと評判だ。光源氏の五歳上だが、母代わりにもと、父は源氏を藤壺の御簾の内にまで入れた。彼は、刷り込まれるように「影だにおぼえたまはぬ」母と藤壺の面差しを重ねて、恋心を抱き始める。美しい二人は、光る君、かがやく日の宮と双称された。数え十二で元服した源氏は、藤壺の一つ年下の葵の上と結婚。それでも彼は、藤壺へ禁断の情愛を募らせ、留まることがない。続く帚木、空蝉、夕顔の三帖は、すでに色好みとして「名」の広まった、光源氏の恋愛を描く外伝短編集の趣だ。この若紫巻に到って、物語は、長編小説の企図をあらわにする。

 「わらは病(やみ)」(瘧(おこり))という熱病にかかった源氏は、昨年夏の流行にも効験あった「北山」「なにがし寺」の「かしこきおこなひ人」に加持を頼むが、「老いかがまりて室(むろ)の外(と)にもまかでず」と応じてくれない。ならばみずから参ろうと、親しい一行四、五人で、まだ暗い内にお忍びでやって来た。北山とは京都の北の山々を広く指す。なにがし寺とぼかしているが、古来、鞍馬寺を当てて読むのが通例だ。近年は、この「北山」を大北山と呼ばれた紙屋川上流域に比定したり、岩倉の大雲寺になぞらえるなど諸説あるが、このあと光源氏は「ただこのつづらをりの下(しも)に」、「うるはしくしわたして、きよげなる屋(や)、廊(らう)などつづけて、木立(こだち)いとよしある」小柴垣の瀟洒な住まいに気づき、「何人の住むにか」と問う。「雀の子をいぬきが逃がしつる」と泣きながら登場する、若紫との出会い場面の伏線だ。『枕草子』は「近うて遠きもの」に「鞍馬のつづらをりといふ道」を挙げる。「しがの山ぢのつづらをり」と謳われた大津の志賀寺(崇福寺跡)とともに、くねくね続くつづら折の坂道は、鞍馬の代名詞であった。三月末に咲き誇る桜も、鞍馬の晩春をかざる雲珠桜(うずざくら)として平安時代から知られていた。若紫巻が繰り返し描く霞の風情も、鞍馬の名物である。

 無動寺蔵本『鞍馬蓋寺縁起』(叡山文庫寄託、西口順子が発見・紹介)という本がある。鞍馬寺の古態を伝える重要な資料だ。『源氏物語』の読解を助けるが、これまであまり参照されていない。同『縁起』によれば、紫式部の時代、鞍馬寺は天台宗で、毘沙門天を安置する本堂の他、「法華三昧の道場、一切経蔵、護摩堂、金堂、講堂、鐘楼堂、五重の搭婆、二階の楼門、念仏三昧の道場、観音堂、阿弥陀堂、文殊堂、釈迦堂、薬師堂、地蔵堂、大日堂、二八(=十六)の律院、五八(=四十)の房舎、十王堂」など「仏閣甍(いらか)を幷(なら)べ」る有力寺院だった。若紫巻にも「阿弥陀仏ものし給ふ堂」(阿弥陀堂)、「法花三昧おこなふ堂」(法華三昧の道場)が描かれる。『縁起』の鞍馬寺成立伝説にも、この寺が「北山」にあると記されている。

 光源氏は、春霞に煙る都の方角を眺めながら、絵画のようだ、こんな地に住む人は心に思い残すことはないだろうな、とつぶやく。いやいや、京以外の海山、地方の国々をご覧なさい。絵も上達なさいますよ。「富士の山、なにがしの嶽(たけ)」とお付きが口をはさむ。「西国」にも「おもしろき浦々」があります。「近き所には、播磨の明石の浦こそ、なほことにはべれ」と述べ、明石の入道とその娘のことを語り始める人もいた。のちに垣間見した若紫に一目惚れする光源氏は、まるで初恋の純愛だが、その深層には永遠の思い人藤壺との相似があった-若紫は藤壺の姪で紫のゆかり-と自ら気付き愕然とする。そして源氏は藤壺と密通を遂げた。その夜の短さに鞍馬山の異名「くらぶの山」に宿も取りたいと嘆きつつ、秘密の子を授かる。この前には正妻葵の上との不仲が書かれ、後には、いずれ葵の上を死に追い込む(夕顔も?)、六条御息所らしき女性との逢瀬の気まぐれが、若紫の祖母の家を見出す契機となったことが誌される。やがて源氏は強引に若紫を掌中にするが、この若紫巻に張り巡らされた因果の糸は、盛り込みすぎなくらいである。

 

鞍馬(京都市左京区)​

ここから鞍馬の幽玄神秘な世界が始まる

 早春の鞍馬は、深い緑をまとい、まだ墨染のたたずまい。鞍馬寺仁王門から木漏れ日揺れるつづら折の坂道、険しい石段をたどり本殿金堂に至る。

 鞍馬の山は、近年人気のパワースポットで、本殿前の三角石で構成された「金剛床」がその象徴。なるほど、そこに立ち、お祈りする若い女性の姿が引きも切らない。鞍馬寺は、8世紀後半の開創だが、それ以前から山そのものが山岳宗教など、さまざまな祈りの対象となってきた。それは、寺が、毘沙門天、千手観音、そして大天狗ともいわれる護法魔王尊を三位一体の尊天として祭っていることからもうかがえる。

 さらに、本堂から奥の院へと木の根もあらわな大杉の立ち並ぶ坂道を歩く。空気はますます澄み渡り、山の霊力も増していくよう。光源氏の病を治した高僧の存在も、納得である。この鞍馬は間もなく、雲珠桜とかすみでその神秘に華やぎを加えていく。

鞍馬寺地図

■あらき・ひろし

 1959年生まれ。専門は古代・中世文学。古典を通じた大衆文化研究も進める。著書に「徒然草への途」ほか。

■文遊回廊

 史跡などの歴史を物語でつなぎ、散策路を策定します(主催・京都文化交流コンベンションビューロー、古典の日推進委員会、京都新聞)