「ハッコちゃんは私の大切な友だちでした」と話すあまんきみこさん(長岡京市)

「ハッコちゃんは私の大切な友だちでした」と話すあまんきみこさん(長岡京市)

あるひあるとき

あるひあるとき

 京都府長岡京市在住の童話作家のあまんきみこさん(89)は旧満州(現中国東北部)で生まれ、同地で少女時代まで過ごしてきた。そんな自身の幼少期を絵本「あるひあるとき」(のら書店)にした。戦争の時代を生きた一人の少女と、大切にしていたこけし人形の物語。あまんさんは平和への思いを込め、戦争に翻弄(ほんろう)される子どもや家族を書いてきたが、旧満州を舞台にしたのは初めて。「幼い子どもたちの身一杯の喜びと悲しみを届けることができたら」と願う。

 あまんさんは1931年、旧満州の撫順(ぶじゅん)で生まれた。両親は宮崎出身で、父は南満州鉄道系列の会社に勤めていた。小学校入学時は旧満州の首都だった新京(現在の長春)に住み、3年生のときに大連へ移った。「体が弱くて、新京の時も病気ばかりで。私の記憶には大連の日々しかありません」という。

 一人っ子だったあまんさんは、祖父母、両親、叔母たちと社宅で暮らし、尋常小学校に通った。「日本の人ばかりが住み、日本語を話し、日本の教育が行われていました。中国の人と縁なく暮らし、その人たちが隅っこに追いやられていることに気付いていませんでした」

 1944年に高等女学校に入学。戦禍は厳しさを増しており、学校も運動場の周囲に防空壕(ごう)が作られ、竹やり訓練や銃の撃ち方を習う場になった。

 敗戦後、ソ連軍が進駐した。祖父はすでに亡くなり、父は出征していた。あまんさんは祖母、母、叔母の4人暮らし。「女の人は髪を短くして男に見えるようにするのが安全」との連絡を受け、あまんさんは髪を刈り上げ、向かいに住む男の子の制服を借りた。「ある日、家から1軒置いたテニスコートでソ連軍が野営し、私たち4人は暗いベランダに身を隠しました。ロシア民謡のような歌声が聞こえてきたのを今も覚えています」

 大連に2年間とどまり、1947年3月に両親と祖母、叔母と共に大阪へ引き揚げた。1950年に母が病死。あまんさんは一人娘の将来を案じていた母の思いを受け止め、20歳で結婚して東京に移り住んだ。子どもが小学校に通い出したころ、長年抱いていた疑問が強くなった。「満州って、いったい何なんだ」