米軍によって撮影された、朝鮮人労働者を乗せて沈んだ浮島丸(京都府舞鶴市・舞鶴湾)=米国立公文書館所蔵

米軍によって撮影された、朝鮮人労働者を乗せて沈んだ浮島丸(京都府舞鶴市・舞鶴湾)=米国立公文書館所蔵

「米軍機の攻撃で沈んだ」と説明されている旧海軍の艦船(京都府舞鶴市・舞鶴湾)=米国立公文書館所蔵

「米軍機の攻撃で沈んだ」と説明されている旧海軍の艦船(京都府舞鶴市・舞鶴湾)=米国立公文書館所蔵

 太平洋戦争終戦翌年の1946年、京都府舞鶴市の舞鶴湾内で沈んだり、座礁したりしていた艦船を米軍が撮影したカラーフィルムを、米国立公文書館が保存していることが分かった。朝鮮人労働者が犠牲になった旧海軍輸送艦・浮島丸や舞鶴空襲で攻撃された艦船などが間近に映り、戦争の惨禍を伝えている。同市の舞鶴引揚記念館は「終戦直後の舞鶴の様子を垣間見られるカラー映像は大変貴重」と評価する。

 米軍が46年4月12日から5月31日までに撮影した22分間の映像で、タイトル「BEACED、SUNK、DAMAGED JAPANESE SHIPPING」として所蔵されている。広島県呉市や福井県敦賀市などの調査地点とともに、舞鶴湾は最後の5分間映っている。

 浮島丸は1945年8月24日、青森県から朝鮮に帰国途中だった労働者や家族を乗せていたが、舞鶴湾の佐波賀沖で爆発して沈んだ。日本政府の発表では、朝鮮人524人と日本人船員25人が死亡したとされる。

 映像では、海上から突き出た浮島丸の白色のマスト2本やレーダー装置が周囲を旋回して撮影され、舞鶴湾に浮かぶ蛇島や佐波賀の集落も映り、浮島丸は「舞鶴湾で機雷に触れた」と説明されている。

 「1945年7月30日、米軍機に攻撃された」と紹介された船も複数ある。制御塔が海面から出た旧海軍の艦船の背景には、舞鶴に現在も数多く残る赤レンガの建物群が見えるものもある。180人が犠牲になった舞鶴空襲は29、30日にあり、30日は舞鶴軍港に停泊していた旧海軍の艦船が主に攻撃された。

 手こぎの船で浮島丸の救出に向かった森本晃生さん(83)=同市佐波賀=は映像を見て、「住民が助けにいった当時のことを思い出す。重油が流れ出ていて、手こぎの船では近づけなかった」と振り返る。舞鶴空襲で旧海軍の施設周辺が攻撃されるのを遠くから見ていたといい、「海上で機銃掃射を受けたこともある。戦争は恐ろしい」と話す。

 フィルムには、航行不能になったイタリアの蒸気船や機雷にぶつかって座礁した巨大な貨客船「帝立丸」の姿も記録されている。同記念館の長嶺睦学芸員は「戦争体験記に記された沈没船がカラー動画で確認でき、史実を分かりやすく伝えていける」と話していた。映像は米国立公文書館のウェブサイトで閲覧できる。