中国・撫順の難民収容所内で亡くなった母親の遺体を死体置き場に運ぶ様子を描いた黒田さんの絵

中国・撫順の難民収容所内で亡くなった母親の遺体を死体置き場に運ぶ様子を描いた黒田さんの絵

孤児となり、撫順の街で路上生活をしていた頃を描いた絵

孤児となり、撫順の街で路上生活をしていた頃を描いた絵

黒田雅夫さん

黒田雅夫さん

 第2次世界大戦中、満蒙開拓団として家族とともに旧満州(現中国東北部)に渡り、終戦後、孤児となって日本に引き揚げた男性が8月9日、京都府亀岡市内で子ども向けに体験を語る催しを開く。難民収容所での母の死を描いた絵など40点以上も展示する。男性は「戦争を語ることが難しい年齢になってきた。絵と言葉で命や家族、平和の大切さを伝えたい」と話す。

 亀岡市の黒田雅夫さん(83)。小中学校で戦争の語り部として10年ほど前から活動しているが、今年は新型コロナウイルスの影響でほぼ中止に。「戦後75年だからこそ伝えないといけない」と自ら催しを企画した。

 黒田さん一家5人は、1944年に京都市内から開拓団として入植。45年8月9日のソ連の満州侵攻や15日の敗戦を機に、1カ月半近く入植地から徒歩や鉄道で逃げ、約300キロ南の撫順(ぶじゅん)の収容所に入った。徴兵の父はシベリアに送られ、逃亡と収容所生活の間に祖父と母は死亡、弟は中国残留孤児となった。一人になった黒田さんは46年7月に舞鶴港に帰国した。

 語り部活動の際、戦争の悲惨さを子どもたちに分かりやすく伝えたいと絵を描くようになった。日々の生活で突然よみがえる幼少期の記憶を頼りに色鉛筆を執る。

 今回は、母の遺体を収容所の死体置き場に運ぶ様子や、行商の中国人に饅頭(マントウ)をもらい生きながらえた場面などを表現した作品を展示する。「鉛筆を握ると、当時のことを思い出し泣いてしまう。京都には開拓団を伝えるものがほとんどない。絵で悲惨な歴史を知ってもらいたい」と話す。
 
 講演は、亀岡市余部町のガレリアかめおかで午後1時~3時。入場無料。