ウトロ土地問題の経緯

ウトロ土地問題の経緯

 京都府宇治市のウトロ地区には太平洋戦争中、京都飛行場の建設に従事した韓国・朝鮮人の一世と子孫ら約200人が住む。

 飛行場建設に従事するためウトロにあった作業員宿舎の住民たちは終戦で放置された。ウトロの土地は国策会社を引き継いだ日産車体から1987年に個人、西日本殖産に転売された。

 同社が89年、明け渡しを求めて提訴し、00年に最高裁で住民全員の敗訴が確定した。長引くウトロ訴訟で、住民は立ち退きにおびえ続けた。戦後60年が過ぎても下水道など都市インフラも普及しないままで、豪雨になれば浸水被害に遭う劣悪な環境が続いた。住民は法廷や行政交渉で、なぜこの町に住むことなったのか、歴史を訴えた。

 2007年、韓国政府などの支援で住民側と西日本殖産が土地東半分約1万500平方メートルを5億円で購入する契約を締結。ただ、同社の債務整理の問題で売買交渉は一時停滞し、韓国政府の支援金も為替変動で目減りし土地購入面積が減少した。

 2014年に国土交通省と京都府、宇治市の3者は、地区内に公営団地を建設して住民を集約する方針を決めた。