谷垣禎一さん。終始、柔和な表情だった(東京都世田谷区)

谷垣禎一さん。終始、柔和な表情だった(東京都世田谷区)

 ◇平成の始まりは冷戦の崩壊とほぼ時を同じくしています。国際情勢の変化は日本の政治にどのような影響を与えたのでしょうか。

 「私が防衛政務次官になったのは1990(平成2)年だが、その頃にちょうど湾岸戦争が始まった。湾岸戦争は米ソの管理の及ばないところで起きたという意味で、ベトナム戦争や朝鮮戦争など冷戦期の紛争とは形態が全く異なる戦争だった。こうした世界秩序を無視する行為に対し、防衛庁内でも相当な議論をし、(自衛隊が多国籍軍の後方支援に参加する)国連平和協力法案をまとめて国会に提出した」

 「しかし、当時の集団的自衛権の解釈は極めて厳格で、法案は通らなかった。そこで結局は90億ドルもの金を拠出することとなった。それでも金を出すだけでは国際的な評価は得られなかった。このような産みの苦しみがあって今日がある。平成はそうした模索の時代。当時の議論の積み重ねが、PKO法や集団的自衛権の解釈見直し、平和安全法制につながっている」

 ◇1994(平成6)年には「政治改革」として現在の小選挙区比例代表並立制が導入され、政治資金規正法も改正されました。

 「それまでは(複数が当選する)中選挙区だったので金がかかったことは事実だ。自民党同士が争ったのが理由という言い方もあるが、選挙区が広かったという事情もある。秘書や事務所も相当の数を抱えなきゃいけない。笑い話のようだが、当時は選挙区の全ての葬儀業者と契約していた人がいた。誰かが亡くなったと事務所に連絡があると、必ず花を出して線香を上げにいく。こんなことをやっていると金がかかるのは当たり前だ」

 「(政治とカネを巡る)いろんな不祥事もあったから、政党助成金を入れ、変な金を集めないようにとなった。(今の制度で)最初の選挙があった96(平成8)年には自民党の総務局長をしていた。今でいう選挙対策委員長だ。検察が『国民の血税が政党に入る。今までの選挙とは同じではない。厳しく対応する』という考えを持っていると思われたので、政党助成金の使用については厳格な内規を設けたが、初当選した議員がお盆に線香を配ったという理由で失脚した。それまでと画期的に変わったのに、今回の(河井克行)前法務大臣の件なんかはどうしたことかと思う」