ヒグマの親子の悲劇を描いた絵本「ぼく 生きたかったよ…」。読み聞かせなどで園内でも活用されている

ヒグマの親子の悲劇を描いた絵本「ぼく 生きたかったよ…」。読み聞かせなどで園内でも活用されている

京都市動物園の「動物園沿革史」に収められた戦時中の園の記録。昭和19年3月に赤熊(ヒグマ)やライオンなどが殺処分されたことが記されている

京都市動物園の「動物園沿革史」に収められた戦時中の園の記録。昭和19年3月に赤熊(ヒグマ)やライオンなどが殺処分されたことが記されている

 最初にヒグマの親子が殺された。第2次世界大戦中の1944(昭和19)年3月、京都市紀念動物園(現・市動物園、左京区)。軍部の命令だった。

 子の雄熊の前頭部に銃弾が撃ち込まれ、続いて母熊にも。流れ落ちる鮮血。雄熊が突然起き上がったため、再び銃声がとどろいた。

 翌日、2頭はまだ息があった。太い針金で絞殺するまで、さらに1時間要したという。

 ホッキョクグマ、トラ、ライオン…。その後も殺処分は続き、計14頭の猛獣類が犠牲に。「当時の飼育員は本当につらかったと思う。麻酔もなく、早く楽にしてやりたい一心だったはず」と坂本英房園長は話す。

 空襲でおりが破壊されて動物が逃げれば人を襲う―。そんな社会不安に対し、園は「空爆を受ければ脱走前に死ぬ」と、当時の京都日日新聞などで沈静化に努めたが、かなわなかった。殺処分によって敵国への憎悪を膨らませ、戦意高揚を狙ったとの指摘もある。

 一方、食糧難や物資不足も深刻だった。園の鉄扉が供出で木製となり、石炭が足りずワニやヘビなどは寒さを強いられた。大量の飼料をまかなうため、42年から園内で野菜を作り、翌年には北区紫野の竹やぶを開墾。だがキリンやラクダ、インドゾウなどが次々と衰弱し、終戦後に命を落とす。40年に209種965頭(匹、羽)いた動物は、5年後に72種274頭(同)まで激減した。

 こうした悲惨な過去を伝えようと、園はサイトに「戦争と京都市動物園」と題したページを昨夏に設けた。園の一角には、これまでに死んだ動物を弔う「萬霊塔」がたたずみ、毎年9月に慰霊祭が営まれている。

 2015年には、冒頭のヒグマ親子の悲劇を描いた絵本「ぼく 生きたかったよ…」(かりん舎)が出版され、読み聞かせでも活用している。監修したのは、戦時中の猛獣処分を研究する三上右近さん(55)=札幌市=。巻末の解説では、全国の動物園で160頭以上が殺された史実を記した。

 「動物園は平和そのものである(ZOO IS THE PEACE)」。上野動物園(東京)の初代園長、古賀忠道氏が残した言葉を引用し、三上さんはこう強調する。

 「戦争になると命が驚くほど軽くなり、動物たちは何も分からないまま人間の非情さの犠牲になる。動物園があり続けることこそ平和の証しであり、訪れる時はこの言葉を思い出してほしい」