1945年6月末の夜、旧満州北安省の開拓集落。生後2カ月の長男を寝かし付けていると、青ざめた顔の夫にライフル銃を向けられた。必死で命乞いをした。召集を受けていた夫は翌日、「こんな所にお前らを残すのは心配でたまらん。自分もどうせ死ぬ。お前らを殺して自分もと…」と漏らした。8月にソ連軍が侵攻し、命懸けの逃避行が始まる。食べ物はほとんどなく、夜露にぬれてブヨに刺されながら夜を耐えた。ハルビンから奉天に移った12月、長男は肺炎で亡くなった。1994年、69歳の時に高知新聞社の取材に語った。