はらだ・けいいち 1948年生まれ。日本近現代史。地域と軍隊、軍都・舞鶴などを研究。著書に「日清戦争論 日本近代を考える足場」など。共著に「シリーズ 地域のなかの軍隊」。

 戦争から連想する死は、兵器による負傷からのものが常識的だろう。日本近代最初の戦争である日清戦争では、病死者のほうが多かったことがよく知られるようになってきた。

 戦死者1417人に対し、病死者1万1894人と、参謀本部編纂(へんさん)の「日清戦史」(1904~07年刊)は報告する。病死者のほとんど(1万236人)は、1895年5月から11月までに台湾で亡くなった。日清戦争開始前に設置された大本営廃止は96年4月1日。広義の日清戦争は、94年6月~96年4月とするのが筆者たちの考えだが、どうだろう。

 なぜ日清戦争で病死者がこんなに出たのか。「日清戦史」によると、戦地の野戦病院への入院総数は11万5419人(軍人・軍属の合計)。戦地に赴いた出征総数は17万1164人だから、64・7%が入院した。

 日本近代最初の戦争は病気との戦いでもあった。軍隊では、3分の2が戦闘不能になると全滅と認定するという考えがあり、それに匹敵するようなすさまじい数字である。

 出征総数と入院総数には、軍夫を含まない。輜重(しちょう)輸卒がほとんど召集されずに民間人が雇用され、兵站(へいたん)の輸送をその双肩と足で担った。日本人に限っても15万3974人が朝鮮・清・台湾で輸送に従事したが、彼らの死亡・負傷・疾病記録はほとんど残っていない。ましてや現地雇用の朝鮮・中国人の記録はない。以下の記述は「日清戦史」が語るところに限定せざるを得ない。

 どんな病気が広がったのか。入院患者概数は脚気(かっけ)3万人(うち死亡4千人)、赤痢1万千人(同2千人)、マラリア1万人(同665人)、コレラ8千500人(同5千700人)、凍傷7千人など。マラリアは1896年まで続く台湾での戦闘で感染し、凍傷は94~95年冬の清国でかかっている。脚気はビタミンB1欠如が原因で、副食物の貧困さに加え、主食の精米輸送が良好だった台湾で多く発症している。コレラは、台湾への輸送船の中で発症した。

 最近の研究では、輸送船に積み込んだ水がコレラ菌を含む汚水で、それが感染源という。戦争後、コレラは内地へ持ち込まれ、検疫も通過。日清戦争に起こった銃後の混乱のひとつであった。

 汚水への恐怖は、その後の日本・中国双方にあったようだ。日中戦争時の日本軍はクレオソート丸(征露丸(せいろがん))を兵士が常用したが、中国の兵士も仁丹を持っていたという(伊藤桂一「私の戦旅歌とその周辺」)。兵士が、何を傷病対策として持っているか、持たされているか。これは比較文化の課題であり、私の宿題でもある。(佛教大名誉教授)