京都市上京区の智恵光院通下長者町角にある辰巳公園を訪ねると、強い日差しの中で小学生2人が滑り台で遊んでいた。通りすがりでは、ここが空襲の被災跡と気づくのは難しい▼1945年6月26日の「西陣空襲」。公園の隅にたたずむ石碑が唯一伝えてくれる。<昼前、低い雲の上空に敵機B29の爆音が近づき…>。着弾地7カ所を地図で示し、警察署の記録から全壊家屋71戸、即死43人と刻んでいる▼京都市内では東山区馬町や右京区の軍需工場に爆弾が投下されたが、西陣空襲の犠牲者が最も多い。しかし、地元でも語られることは少なかったという。住民が後世に伝えようと石碑を建てたのは戦後60年のことだ▼全国各地に多くの戦争遺跡が残っている。しかし老朽化が進み、体験の語り部も減っている。歴史的価値あるものを保存するだけでなく、街角の目立たない遺跡に気づくことも大切ではないだろうか▼京都府内の戦争遺跡は200以上と言われ、思わぬ所で出合う。五条大橋欄干の擬宝珠(ぎぼし)に「戦時建物疎開」の刻字が見える。空襲の延焼防止のため民家を強制撤去、五条通を拡幅した記録だが、多くの人は通り過ぎていくだけだ▼それでも遺跡があれば、いつか気づく時がくる。辰巳公園の石碑を幼い女の子が眺めていた。きっといつの日か。