戦後75年となる今年の終戦の日は、本来なら東京五輪閉幕の余韻の中で迎えるはずだった。

 五輪はコロナ禍で延期された。

 予定されていた東京での五輪が取りやめになったのは1940(昭和15)年も同様だった。日中戦争の長期化で五輪どころではなくなり、返上・中止されたのだ。

 すでに戦時体制にあった。そんな状況でこの年、日本軍は南方への武力進攻に踏みだし、米英との対立が決定的になった。昭和史に詳しい作家半藤一利さんの言葉を借りれば「ノー・リターン・ポイント(引き返せない地点)を越えた判断」がなされた年といえる。

 国内では、退潮傾向にあった政党が次々に解散し、大政翼賛会が発足した。町内会や隣組などが組織化されて市民生活に相互監視の目が光るようにもなった。

 国の方針に関して議論も反対もなく、止める者もいなくなった。歯止めを失った社会がどんな運命をたどったか、改めて考えるべきだろう。75回目の終戦の日に、あえてその年を振り返ってみたい。

衆人環視の中で制裁

 福知山市出身の政治家で後に首相を務めた芦田均は、戦後の著作で、この年に国内で起きた二つの出来事について論評している。

 一つは同年2月、日中戦争を巡る政府の対応を指弾した衆院議員斎藤隆夫の国会質問が陸軍の怒りを買い、議員除名となった件だ。

 除名を決議する本会議では多くの棄権者があったものの、反対したのは芦田ら7人だけだった。

 もう一つは、各政党が自主解散して消滅したことだ。挙国一致の新体制づくりを目指すとの名目で旧政党や各種団体などが合流して大政翼賛会が発足、国民を戦時体制に組み込む役割を担った。

 芦田は斎藤の除名について「当時の二大政党が陸軍の圧迫を蹴飛ばしたならば、軍閥はあるいは政治から手を引くことを顧慮したかもしれなかった」と述べ、政党側はチャンスを逃したと指摘した。

 翼賛会については「国家権力が国民生活のすみずみにまで浸透するのを容易にし…強力な軍部独裁政治の根がはびこる決定的発端を開いた」と鋭く批判している。

 物言わぬ風潮の背後には、対外強硬論をあおった当時の新聞などの責任があることは確かだろう。

 ただ、政党や政治家がその役割を十分果たしていれば、その後の国民の運命は変わったかもしれない。芦田の論評は、現代の政治家への警告のようにも思える。

 40年は庶民の日常に統制が拡大した年でもある。8月、「ぜいたくは敵だ」の看板が繁華街に設置された。当局は婦人団体などと共に、盛り場の監視を強めた。

 パーマネント、指輪、アイシャドー、高価な着物などが標的となり、華美な服装をした人々には自粛を求めるカードが手渡された。衆人環視の中での制裁といえる。

 翌月には既存の隣組が行政の下請け機関に位置づけられ、出征兵士の見送りや生活必需品の配給などで協力することとされた。

 だが、隣組には監視・密告もはびこった。半藤さんは、自分の父親が首相の悪口を言っているのは非国民だ-と近所の中学生に何度も言われた経験を著書で振り返っている(「B面昭和史」)。

戦時下と同じ空気が

 今年、似たような雰囲気を感じた人もいたに違いない。コロナ禍で営業を続ける飲食店を中傷する紙が貼られたり、脅迫めいた嫌がらせなどが相次いだ。

 行政の要請に応じない人々を独自の正義感で懲らしめる「自粛警察」が頻発した。非国民をあぶり出すかのような同調圧力だ。

 危機の時代には、政治家も国民も支配や統制を簡単に受け入れてしまいがちだ。戦時下の80年前と同じ空気が今も現れうることに、私たちは敏感になる必要がある。

 戦後、まがりなりにも平和が続いてきたのは、戦争の反省、教訓が語り伝えられ、国民の中に平和を維持したい気持ちが保たれてきたことの表れといえるだろう。

 今年6~7月の世論調査でも、不戦が続いた要因として戦争放棄と戦力不保持を定めた憲法9条や戦争体験者の存在を挙げる人が合わせて7割に上った。

 だが戦後75年が経過し、従軍体験はもとより、戦時下のようすを語れる人はかなり少なくなった。

沈黙の重なりの先に

 戦争の記憶は、もはや体験ではなく「歴史」の段階に入ったといえる。個人の経験を記録し、後世に残す努力が必要になっている。

 難しいのは、あの時代の空気をどう伝えるか、ではないか。

 恐怖にかられての過剰反応が排他主義や強い同調圧力を生む。そうした傾向が戦後民主主義の現在でも避け難いことは、今回のコロナ禍で思い知らされた通りだ。

 40年9月に締結された日独伊三国同盟は、一部の反対論を押しきって進められ、世界大戦にくみする契機となった。ドイツの欧州での快進撃をたたえるメディアや世論の高まりを背景にしたともいわれる。

 圧倒的な世間の空気にあらがうのは簡単ではない。だが、一人一人の沈黙が重なり合えば時代を予想外の方向に導くかもしれないとの思いは、心に留めておきたい。