きのう政府主催の全国戦没者追悼式が日本武道館で開かれた。戦後75年、高齢となった遺族は戦争で亡くした肉親に思いをはせ、参列者は不戦を改めて誓い合った。

 新型コロナウイルス感染防止のため参列者の規模は縮小された。中止にしてはならない重要な国の行事であり、国民にとっても追悼の思いを共有する大切な時間なのだ。

 ただ、年1回の式典が終われば、会場は撤去されてしまう。これでいいのだろうか。いつでも、だれもが追悼できる場をつくるべきではないか。

 実は2002年12月、小泉純一郎政権下で福田康夫官房長官の私的懇談会が「国立の無宗教の恒久的施設が必要」という報告書を提出している。

 戦争の惨禍に思いを致し、全ての死没者を追悼して、不戦の誓いを新たにする。平和と追悼の象徴的施設を国家としてつくる、とうたっている。

 軍人・軍属だけでなく、空襲などで亡くなった民間人も追悼の対象とし、さらに「日本の起こした戦争」で命を失った外国の将兵や民間人も含めた。

 「何人もこだわりなく追悼・平和祈念が行える」というのが眼目だ。

 念頭にあったのは靖国神社問題だ。明治以降、国の戦争に殉じた戦没者を「英霊」として祭るが、歴代首相が参拝すると中国や韓国から「A級戦犯が合祀(ごうし)されているのに参拝とは」などと批判を受けた。国内にも複雑な感情を抱く人がいる。

 懇談会の議事要旨を読むと、有識者委員が議論し、苦慮したことが分かる。結局、国立である以上は政教分離が求められることから宗教性を排除、靖国神社とは両立できるとした。

 ところが、自民党内の反発が強く、報告書はたなざらしにされ、後の福田政権でも建設調査費の予算化を断念している。

 今では議論は聞かれず、国民の関心も低い。共同通信の最新世論調査では、追悼施設としてふさわしいのは「今のままの靖国神社」が47%と最も多い。

 それでも、靖国を信奉する遺族の気持ちをくみつつ、広い視点から議論する必要があるのではないか。「何人もこだわりなく」追悼できる場のあり方を改めて考えたい。無名の遺骨を納める千鳥ケ淵戦没者墓苑の拡充もかねて提案されている。

 諸外国には国立の追悼施設や墓地があり、海外の来訪要人が献花する。同じ敗戦国のドイツでは東西統一後に無宗教の中央追悼施設が定められ、大統領や首相、議長らが出席して式典を開いている。

 私たちの国には、そうした施設がないということだ。国による戦争で国内外に犠牲者を出しながら、国は追悼する場を持たない。過ちも含めて歴史を直視しようとする姿勢が見えない。

 私たちにとっても重要な施設であるはずだ。戦争の被害や犠牲だけでなく、加害にも目を向ける場にもなろう。

 戦争をめぐる記憶の風化が進むからこそ、歴史を引き継ぐ者として戦争による死について考える必要がある。追悼の一つのあり方ではないだろうか。