京町家といえば、長い歴史の中で育まれた清楚なたたずまいが感じられます。そんな中に、二条城の南近くの京町家、重要文化財・小川家住宅があります。かつて米・両替を商っていた小川家住宅は、大名が宿泊することもあったので「二條陣屋」とも呼ばれ、またカラクリを施した忍者屋敷ともいわれるなど、市中の伝統的な京町家とは一風かわった造りに驚きます。

解体修理中の状況。大広間背面奥の湯殿、雪隠が下方に見える

 2009年1月から3年9カ月の歳月をかけ、京都府教育委員会が委託を受けて保存修理工事を行いました。工事内容は、広い主屋の奥まった部分の建物の半解体修理(一部全解体)でした。今回の修理は、建物が建設されて現在に至る経緯を解明できる千載一遇の機会でもあることから、調査にはかなりの時間を費やしました。そして熟慮の末、ようやく建物の変遷の歴史をひもとくことができ、江戸時代幕末期の大名が宿泊した頃の姿に復原するに至りました。

 ここでは、復原修理された建物の特徴的な造りについて紹介します。

大広間背面奥からの外観。塗屋造りで防火対策がとられている

 建物の外観は、京町家では見ることのない、外廻(まわ)りに壁土を塗って漆喰(しっくい)で化粧した塗屋造(ぬりやづく)りで、建具にも土戸がはめられ、火災に対する備えが十分にとられていました。しかし、座敷までも塗屋造りにすることはできないので、緊急時に軒先に取付けてある吊金物に莚(むしろ)を引掛け、敷地内にある豊富な井泉から散水して、濡(ぬ)れ莚で火の粉を防ぐ工夫がなされています。

 建物の内部にも、大名を迎え入れるための様々な配慮がなされていました。最も主要な15畳の大広間は、書院造りの座敷飾りが整い、壁は金を散らした紙貼りで、天井は格天井となり、格式のある座敷にしつらえてあります。通常お殿様は、畳が一段高い上段ノ間に座しますが、ここにはないために置き畳で代用していたことが記録から分かりました。上段に座したお殿様は、お庭を眺めたり、周囲の腰障子の腰貼りに描かれた京洛内外の風景画を楽しむことができました。また隣接した八畳間に床板を敷き詰めれば、床下に置いた甕(かめ)で音響を高めた能舞台に早変わりし、お能なども観劇することができます。

大広間からお能ノ間(板敷)を望む。天井の一部開いた箇所に天窓がある
陶板張りの浴槽(右)と井戸(左)がある湯殿内部

 大広間の奥には、お殿様専用の雪隠(せっちん)と湯殿が用意されていました。湯殿は非常に珍しい白い陶板張りの浴槽で、井戸が併設されています。周囲の腰壁は、斜めの白い目地を切って蜻蛉(とんぼ)のワンポイントを付けた赤壁で、漆喰天井には淡い青色の霞が描かれています。お湯は釜場から注がれますが、当時の鉄砲風呂と同様、保温のために浴槽の片側に炭火を焚く火袋が設備されていました。小川家はかつて木薬(きぐすり)屋でもあったので、きっと薬湯を用意して疲れを癒やしてもらっていたことでしょう。

 大広間の背面側には、役割が異なる二列に並んだ中廊下を介して、裏座敷や茶室皆如庵(かいじょあん)などがあり、裏庭を眺めながらお茶も楽しめます。二階にも色鮮やかな赤壁の座敷があり、ベランダ状の縁側から違った目線で庭を眺めることができます。二階より箱階段を上がると高床の三階茶室が設けられ、さらに階段を上がると、今回の修理では残念ながら復原ができなかった屋根上に載る望楼に出ることができました。記録では望楼に遠眼鏡が用意されていたので、眼下に広がる京洛の景色を実際に楽しんだことが想像されます。

小川家住宅鳥瞰図

 お殿様の身辺警護についてもいろいろな備えがあります。大広間への採光のために造った天井裏の天窓の一画に、警護のための武者溜まりを設け、緊急時に直下へ飛び降りるかなり強行な仕掛けがあります。また、大広間は内側から施錠をするようになっていて、外からは不用意に入れません。さらに、玄関からこの大広間に向かう経路には、側近の侍の詰める部屋があり、大広間への人の出入りに目を光らせていたのでしょう。

小川家住宅

 このように、安心安全にも対応しながらおもてなしに気を配った小川家住宅は、独特の造りをもった魅力的な京町家といってもよいでしょう。現在は予約公開をしているので、お殿様になった気分で京町家を満喫できます。
(京都府教育委員会文化財保護課建造物担当 森田卓郎)