「昭和19年6月29日、鹿児島県徳之島付近」。晩年、認知症を患う中でも祖母は繰り返しそらんじた。幼子4人を残し、出征した夫の最期の場所だった▼今夏、声の記憶を頼りに調べて、それが輸送船「富山丸」の惨事だったと知った。南方戦線の敗色から沖縄への増援兵士を輸送中、米潜水艦に魚雷で撃沈された▼約3700人とされる犠牲者は、悲劇と語られる翌年春の戦艦大和の沈没よりはるかに多い。富山丸は二つに折れ、補給物資のガソリンに引火して火の海に包まれたという。遠い出来事だった戦争が、生々しく身近に感じられた▼波間に消えた祖父を含め、海外や沖縄などでの戦没者約240万人の半数近くは遺骨が置き去りにされたままだ。アジア・太平洋の広範囲に分布し、いかに無謀な侵攻で兵士を捨て駒にし、現地を戦火に巻き込んだかを物語る▼15日の全国戦没者追悼式の式辞で、安倍晋三首相は諸国への加害責任に触れず、毎年述べていた「歴史と謙虚に向き合い」「歴史の教訓」の文言も省いた▼首相は、今日の平和と繁栄は「戦没者の尊い犠牲の上に築かれた」と位置づけたが、歴史を直視するなら「犠牲への反省」が土台であるはずだ。為政者の歴史観を問うばかりでなく、一人一人の国民が史実を知り、学ぶ努力が欠かせない。