山崎保さん(京都府南丹市)は1942年に徴兵され、中国河北省易県へ出征。八路軍(共産党軍)との戦闘で地雷を踏んで体が吹っ飛んだ。

 「ちょっとでも踏み方が違っていたら今ここにはいなかった」。

 炎が衣服に燃え移り、2カ月近く苦しみ、死を意識した。戦局が悪化する中、部隊は待ち伏せ攻撃を受け、50人以上の犠牲者を出した。偶然不在だったため、生き残る。

 河北省曲陽で終戦を迎え、飢えに苦しみながら線路沿いを歩き続けた。

 46年2月に佐世保港へたどりつき、「引き揚げまでの3年3カ月、本当にひどい戦争だった」。2017年、95歳の時に本紙の取材に語った。