手掛けた映画160本余りを並べると、日本映画の戦後史に触れられる。11日に97歳で亡くなった映画美術の第一人者、西岡善信さん。カンヌ国際映画祭グランプリ作「地獄門」(1953年公開)や市川崑監督の「炎上」(58年)など大映京都の名作群に始まり、京都の映画や映像文化を、美術で支えてきた。「時代劇を京都で撮りたい」と願う名だたる監督たちが憧れる存在だった。

 

映画「どら平太」(2000年・市川崑監督)のため西岡善信さんが描いたスケッチ

三島由紀夫の「金閣寺」を映画化した市川雷蔵主演の「炎上」。ラストに炎に包まれる楼閣のミニチュアセットは桂川岸に建てた。吹き上がる火の粉は、金箔を扇風機で舞い上がらせ、迫力ある映像に仕上げた。

 何もないところから、銀幕に映るすべてを作る。それが映画美術の仕事。ただ、自由気ままにセットを作ればいいわけでない。「ち密な時代考証で物語の世界観を表す。同じ時代が舞台であっても、監督や作品ごとの個性を感じさせなければ意味がない」と語っていた。

 

 京都御所を実測し、巨大な紫宸殿を建てた「朱雀門」(57年)など、ダイナミックな造形で観客を驚かせた。一方、勅使河原宏監督の「利休」(89年)では、国宝の茶室待庵(大山崎町)を再現。壁土のわらすさまで精密にこだわった。

 ほかにも「鬼龍院花子の生涯」(82年)や「吉原炎上」(87年)の五社英雄監督、「瀬戸内少年野球団」(84年)の篠田正浩監督、「忠臣蔵外伝 四谷怪談」(94年)の深作欣二監督、「御法度」(99年)の大島渚監督、「たそがれ清兵衛」(2002年)の山田洋次監督…日本を代表する名監督とタッグを組み、京都を拠点に名作を作ってきた。

「炎上」のミニチュアセット前で談笑する(写真左から)西岡善信さんと撮影の宮川一夫さん、市川崑監督=京都市内

 デザインだけでなく、限られた予算の中、セットを組む算段もする。自ら奔走して製作費を集めることもいとわない名プロデューサーでもあった。企画が頓挫しても「次がありましょう」と笑顔を崩さない。ひょうひょうとしながら、冷静に策を練る気質には、戦争やソ連抑留を体験した達観や覚悟がにじんでいた。

 「最後の忠臣蔵」が日本アカデミー賞最優秀美術賞を受けた2012年。89歳だった西岡さんは授賞式で「題名も『最後の忠臣蔵』で私の生涯でも最後にこういう賞をいただき、うれしく思っています」と語った。太秦の松竹撮影所には西岡さんが手掛けたオープンセットが今も残る。テレビ時代劇「鬼平犯科帳」などで知られるセットは、今後もいろんな作品に使われ続ける。