木島櫻谷の写生帳の一部

<ミュージアムのちから コロナ禍に考える>

 日本画家木島櫻谷(このしまおうこく)(1877~1938年)は近年、注目度が高まっている。大正期の邸宅「櫻谷文庫」(京都市北区)が公開され、2013年に泉屋博古館(左京区)で「木島櫻谷展」が開かれた。同展は東京でも開催され、反響を呼んだ。

 櫻谷は長く忘れられた存在だった。文庫を現在守っているのは、櫻谷の養子の血筋でひ孫に当たる門田理(おさむ)さん夫妻だが、妻の節さんは「長く人が入らず、地域でも存在を知る人は少なかったと思う」と振り返る。

 改修工事を経て12年、市観光協会の「京の夏の旅」で初公開した。近所の人が多く来場し、「こんな場所だったとは」とにぎわった。優雅な階段や大きな窓のある洋館、80畳の明るい画室、2階の四つの部屋が開放的な和館。大正期の豊かな暮らしの香りが残る。公開は翌年の公益財団法人化につながった。

 櫻谷の生家は三条室町で周辺は画家や儒者ら知識人の宝庫だった。櫻谷の父も趣味で絵を描き、文人墨客と交わった。櫻谷はそうした空気の中で育った。

 京都画壇の重鎮、今尾景年に師事し、儒学者で博物画に優れた山本章夫(渓愚(けいぐ))に漢籍を学んだ。非凡な才を示し、多くの展覧会で入賞を重ね、竹内栖鳳と並ぶ人気画家となり、晩年は邸宅で画三昧(ざんまい)の日々を送った。

木島櫻谷の写生帳の一部

 文庫には遺作、書籍、収集した絵画など膨大な資料が残る。公開時にはその一部が展示され、間近で見ることができる。「通常の美術館とは違う形で櫻谷を感じてほしい」と、普段使いの品も当時のままに並べる。木製の優雅なたばこ入れには、当時のたばこが今も残る。

 資料の整理、研究は現在も続く。節さんは書簡などを1ページずつスキャナーで読み取り、通し番号を付ける。作業を通じて写生帳に強くひかれたという。櫻谷は動物画に優れ、動物園に足しげく通った。さまざまな方向から動きをとらえ、瞬時に描き写す。「カメラの連写のよう。スピードが伝わってくる」

80畳の広さを持つ櫻谷文庫の画室

 文庫の公開後、櫻谷ファンが増えた。立命館大の学生が毎年フィールドワークに訪れ、地元の小学生も見学に訪れる。修復費用など運営面で苦慮することは多いが、「発信することで何かを呼び込み、前に進むことができる」と、節さんは感じるという。

 

 櫻谷文庫 和館、洋館、画室の3棟が国の登録有形文化財になっている。木島櫻谷が転居したことを契機に、山口華楊、村上華岳、堂本印象、小野竹喬、福田平八郎ら多くの画家が移り住み、一帯は「衣笠絵描き村」と呼ばれた。櫻谷の没後間もない1940年、遺作や書籍、収集絵画類などの整理研究のため財団法人櫻谷文庫が設立され、2013年に公益財団法人に移行した。京都市北区等持院東町。075(461)9395。