筋萎縮性側索硬化症(ALS)の女性に対する嘱託殺人容疑で医師2人が逮捕された事件を受け、京都の障害者でつくる「日本自立生活センター」(京都市南区)が8月5日、京都市上京区の京都府庁で記者会見を開いた。障害や難病のある人たちの安楽死を容認するような意見がインターネット上などで散見されることに「苦しいなら安楽死しても仕方がない、という風潮になることを危惧している」などと懸念を示した。会見の主な内容は次の通り。

会見するALS患者の増田英明さん

◇JCIL会見趣旨
 昨年6月に放映されたNHKドキュメント「彼女は安楽死を選んだ」に対し、JCILはNHK宛てにその報道の問題点を指摘をし、それに対するNHKからの回答も不十分だったため、BPOにも放送倫理上の問題点に関して調査・審査を要望いたしました。
 文書の中では、あの番組が「今実際に「死にたい」と「生きたい」という気持ちの間で悩んでいる当事者や家族に対して、生きる方向ではなく死ぬ方向へと背中を押してしまうという強烈なメッセージ性をもっている」「社会的支援を活用して生きる道があることを知らせることなく、障害や難病のある生を否定して死を選ぶ道があることを私たちや家族にわかりやすく知らせることは、わたしたちを「死」へと着実に誘導することにつながります」などと指摘しました。
 残念ながら、BPOからの反応はありませんでした。そしてNHKも同番組を何度も再放送しました。
 今回のALS患者嘱託殺人事件では、すでに報道にもあった通り、この「『NHK番組観て』死への思い傾斜」したと指摘されています。報道の社会的影響によって今回の嘱託殺人が準備されたことは、報道関係者には大きく注意を促したいと思います。
自殺報道と同様に、安易な「安楽死」の報道は、「死にたい」と思っている人の希死念慮を増幅させます。また、苦しんでいる人に対して「ラクに死なせたい」と思っている人の気持ちを増幅させます。
 JCILにも、今回の事件後、「死にたいけどどうしたらいいのか」「自殺はしたくないけど安楽死したいから今回の事件に批判的なことは言わないでほしい」などという声が届いています。
 「報道関係者のみなさん」にお願いです。確かに安楽死に関する報道は視聴者や読者の注目を集めます。しかし安易な「安楽死」報道は、「死にたい人」や「死なせたい人」のその気持ちを強める可能性が高くあります。そのことを考慮した上で慎重に行ってください。
 「安楽死」を求める声(楽に死にたい、楽に死なせたい)の背後には、必ずこの社会の問題や課題が潜んでいます。それは、行政や医療や介護から見捨てられたこと、それらの人的資源が不足していること、社会的なつながりを喪失していること、などです。そうした社会の問題点を明らかにし、それらを改善していく動きを報道し、社会を変えていくのが報道の使命だと思います。
 楽に死ぬことを報道するのではなく、少しでも生きる可能性を見出せるよう報道してください。どうぞ、よろしくお願いします。

◇体幹や手足の筋力低下が進む脊髄性筋萎縮症の大藪光俊さん(26)

大藪光俊さん

 こんにちは。JCILで障害当事者スタッフとして活動しています、大藪光俊と申します。 ALS 嘱託殺人事件から派生している昨今の安楽死報道について、私の立場からの思いを述べたいと思います。
 正直に言って、私は今までの人生で一度も「死にたい」と思ったことがありません。私には生まれつき脊髄性筋萎縮症(SMA)という進行性の病気があり、一度も歩いたことも立ったこともありません。健常者の方にとっては自分のことは自分でできて当たり前かもしれませんが、私にとっては自分のことが自分でできなくて当たり前、として生きてきました。だから、自分のことが自分でできないということに抵抗を覚えるどころか、むしろできないから誰かに介助してもらうというのが、私の人生でのスタンダードです。
 そして私自身がこんな身体でも「死にたい」と思わなかった最大の理由は、常に誰かが私のそばで私の生活を支え続けてきてくれたからです。子供の頃は両親や弟、学校の先生、大学に進学すると学生ボランティアの先輩や後輩、友達、そして今は24時間体制で介助者(ヘルパーさん)が支えてくれています。そしてもう一つ大きな理由として、障害を持つ仲間との出会いがあります。私の病気は進行性で、身体が成長していくと共に、ただでさえ動かない身体がますます動かなくなってきました。その中で、ものすごく落ち込んだり怖くなったりした時期もありました。そんな時に、私に「大丈夫だよ」と教えてくれたのが障害を持つ仲間の存在だったのです。どれだけ体が動かなくても大丈夫、気管切開をして人工呼吸器をつけても大丈夫、そういった仲間の姿が身近にあったおかげで、私は「死にたい」ではなく「生きたい」と思い続けてこられたのだと思います。 
 「大藪は周りの環境に恵まれていたからそう思えるんだよ」と、そう言われたら確かにそうなのかもしれません。だとすれば、この社会に住むすべての人がもれなく「生きたい」と思える環境を作っていかなければいけない。苦しみから逃れるために「いかに楽に死ぬか」という議論をするのではなく、苦しみから逃れるために、いかに人と繋がり、苦しみや悩みを共有し、そして支えあって「いかに楽に楽しく生きるか」という議論をもっとこの社会のみんなでしたいし、しなければならない、と私は心の底から強く思います。そしてそういった環境を整えていくために最も大切なことは、障害のある人もない人もいかなる人も、分けられるのではなく同じ地域で共に暮らす共生社会の実現であるという風に強く思うのです。
 是非ともメディア各社の皆様にも、「生きる」をみんなで考えられるような報道、みんなが共に暮らせる社会の実現を後押ししていくような報道をしてくださることを切に願います。

◇神経疾患の難病、遠位型ミオパチー患者で、重度訪問介護など24時間ヘルパー派遣を受け一人暮らしをする岡山祐美さん(40)=会議アプリで中継

 

 私自身も、難病、障害がどんどん進行する中で、あまりにもつらくて死にたいと思う時期が過去に何年もありました。つら過ぎる状況から早く楽になりたいので、そういう時にあの安楽死のような番組を見たら、あんな風に死ねるのならいいなと、死にたい気持ちがさらに高まったと思います。「死にたい」と「生きたい・生きる」との間で揺れている人に対して希死念慮を高める危うさが、あのような報道にあることを認識していただきたいです。
 また、つら過ぎて死にたい、安楽死したいという人に対して、「難病や障害がある場合なら、つら過ぎるのだし死なせてあげたらよい」というメッセージを含んだ報道は、その死にたいほどのつら過ぎる状況に対してサポートを放棄するというメッセージでもあると思います。社会的影響の大きな報道が、そのようなサポートの放棄の姿勢でよいのでしょうか?
 報道関係のみなさんは、希死念慮を高めるような報道をするのではなく、死にたいほどつらい状況を改善する、生きることをサポートするメッセージをたくさん発信していただきたいです。それは障害や難病の有無で分け隔てることなく行われるべきことだと思います。

◇ALS患者で人工呼吸器を装着している増田英明さん(76)=京都市左京区=は透明文字盤を介して、次のように話した。

文字盤で言葉を伝えるALS患者の増田英明さん

 私たちは生きることに一生懸命です。安楽死や尊厳死を議論する前に、生きることを議論してください。そしてヘルパーさんや経営者のみなさんにエールを送ってください。おねがいします。安易に彼女の言葉や生活が切り取られて伝えられることや、そうやって安楽死や尊厳死の議論に傾いていくことに、警鐘を鳴らしてきました。いま私たちの間には静かな絶望が広がっています。
 私の仲間はこの報道を聞いて、自分がどうしていいのかわからなくなったといいました。支援者もこの事件や報道に傷つきながら、わたしたちを支えてくれています。彼女のひとつだけの言葉をとって、安楽死や尊厳死の議論に結びつける報道は、生きることや、それを支えることにためらいを生じさせます。いまこの事件をしって傷ついているひとたちに、だいじょうぶ、生きようよ、支えようよ、あきらめないでと伝えて、応援してほしいです。生きていく方法は何通りも、百通りだってあります。ひとの可能性を伝えるマスメディアの視点を強くもとめます。
 彼女は安楽死でも尊厳死でもなく、自殺でもありません。殺人です。彼女のヘルパーや家族、みんなとの日常を断ち切った2人の医師を許せません。