京都文化博物館の別館「旧日本銀行京都支店」(京都文化博物館提供)

 京都市街地の中心部、三条通には明治から大正期の洋風建物がたくさんあることはよく知られています。明治維新を迎え、それまでの伝統木造建築の世界に急速に西欧の建築技術や様式が伝わり、街の様相が数十年で様変わりしたことを実感させてくれる趣のある景観です。その中で今回は三条高倉に所在する京都文化博物館の別館「重要文化財旧日本銀行京都支店」をご紹介します。

建物内のホールの様子(京都文化博物館提供)

 日本銀行京都支店は、明治27(1894)年に東洞院通御池上ルに本店出張所として開設されました。当時は木造瓦葺(ぶ)きの建物でしたが、明治39(1906)年に三条高倉の角に新築された煉瓦(れんが)造の建物に移転します。それがこの建物になります。以後当支店は、昭和40(1965)年に河原町二条に再移転されるまで当地で営業を続けました。

 旧日本銀行京都支店は、明治36(1903)年に起工し、同39(1906)年6月に竣工した煉瓦造の建物です。設計者は辰野金吾(たつのきんご)、長野宇平治(うへいじ)でした。辰野金吾の名前はご存じの方も多いと思いますが、工部大学校(現東京大学)においてジョサイア・コンドルに建築を学び、日本の建築界を牽引(けんいん)していた人です。日本銀行本店、東京駅丸の内駅舎や奈良ホテル本館の設計者としても知られています。

旧日本銀行京都支店の断面図。天井裏は木製トラス組で構成されている

 さて、当建物は煉瓦造ですが、文字通り煉瓦で壁を積み上げた構造になっています。壁の厚みも1枚や2枚では弱いので、3枚、4枚と並べ、1階の厚みは約80センチ、2階は約70センチとなっています。しかし壁だけでは建物として用をなさないので、ドアや窓の開口部を設けます。そのためにどうするかというと、窓の上に石の楣(まぐさ)を据えたり、煉瓦をアーチ状に丸く積み上げて荷重を両側の壁体に逃がす工法が採られます。

 しかし大きな部屋の上に屋根や天井を架ける仕組みはなかなか大変です。木造の建物だと長い丸太の梁(はり)を架けて屋根を支えますが、煉瓦造や石造の建物は大きなアーチを造ります。ヨーロッパの大聖堂の天井などに大きなアーチが並んでいるのをご覧になったこともあるかと思います。しかしその上の屋根は結局木材を用いて造るのが普通です。壁から壁にトラス梁という三角形を組み合わせた梁を架けて、屋根の三角を造ります。当建物の天井裏も木製のトラス組でできています。

三条通の街並みに溶け込んだ煉瓦造の建物(京都文化博物館提供)

 当建物は、日本銀行が河原町二条に移転した後、平安博物館として開館し、昭和61(1986)年に至り京都府の所有となりました。その年から同63(1988)年まで屋根の葺き替えや内部の部分修理を行い、京都文化博物館別館として公開され現在に至っています。この修理の際、中央営業室のカウンターや照明器具などの復原が行われ、建設当初の銀行の雰囲気を感じられるホールになっています。また、昨年9月に通過した台風21号では、屋根の銅板が外れたり、石製のスレートが落ちたりする被害が発生しましたが、災害復旧工事として修理が行われました。

 明治という時代は、建築の世界に限らず西欧の技術を一気に吸収し、実践していった時代です。維新からわずか40年ほどで完成した当建物は、人を圧倒するような大きな建物ではありませんが、三条通の中に溶け込んで美しい姿を見せてくれます。また、この時代には建築家が職業として知られるようになり、日本の建物も、それまで設計図もなく大工棟梁が拵(こしら)えてきた時代とは大きく違った歴史を歩むことになります。

旧日本銀行京都支店(京都市中京区)

 今年は、設計者辰野金吾の没後100周年ということで辰野金吾ゆかりの日本銀行金融研究所貨幣博物館、東京ステーションギャラリー、日本銀行京都支店などでは特別催事が企画されています。京都文化博物館では、「文博界隈(かいわい)の近代建築と地域事業」展を8月31日から10月27日まで開催します。三条通を散策の際、ぜひお越しください。(京都府教育委員会文化財保護課建造物担当 小宮睦)