現存する河辺飛行場の格納庫を紹介する河辺探訪会の荒田さん(左)と藤原さん=京都府京丹後市峰山町新町

現存する河辺飛行場の格納庫を紹介する河辺探訪会の荒田さん(左)と藤原さん=京都府京丹後市峰山町新町

米極東空軍が戦後の昭和22年に撮影した基地跡。現在の国道312号と重なるように(中央)幅100メートルの滑走路が1500メートル伸びていたという。

米極東空軍が戦後の昭和22年に撮影した基地跡。現在の国道312号と重なるように(中央)幅100メートルの滑走路が1500メートル伸びていたという。

 戦時中に現在の京都府京丹後市大宮町河辺から峰山町新町にかけて設けられた「峯山海軍航空基地」の軌跡を伝える冊子「河辺飛行場の記録と記憶」を住民たちが作った。高齢となった当時を知る人たちの証言も交えており、住民らは「体験を語り継ぐことも困難になった中、歴史を知る手掛かりになれば」と話す。

■「記憶、今残さないと」

 冊子をまとめたのは住民9人でつくる河辺探訪会。河辺区の歴史を調べる中で、今しか当事者の声を集められない飛行場に関する編さんから始めた。

 峯山海軍航空隊(通称・峯空)は1944年春に発足。41年に完成した飛行場で「赤トンボ」と呼ばれた練習機を用いた操縦訓練が行われ、終戦直前には特攻隊員の養成基地にもなった。

 冊子では、隊員OBの組織「峯空会」の書物や記念誌をはじめ、大宮中の教員らが書いた書物などを基に飛行場建設の過程から施設概要、飛行訓練の様子を紹介。過去の河辺公民館報から住民の声を抜粋したり、日本地図センターから当時の航空写真を入手したりするなどもした。住民の声は19人から当時の飛行場や河辺の空襲、隊員たちの交流などを聞き取って新たに掲載した。

 聞き取りした19人中、冊子編さんの5年で3人が亡くなったといい、河辺探訪会の荒田保次さん(69)と藤原晃史さん(67)は「実際の機関銃の音や空襲の怖さ、隊員との交流、特攻隊の見送り。二度と戦争はすべきじゃないと感じた。記憶は今残さないと失われてしまう」と話した。

 冊子はA4判一部カラーで43ページ(1冊600円)。