爆薬を積んだベニヤ板製ボートで敵艦に体当たりする特攻艇「震洋」。西村金造さん(長崎県西海市)はその姿を初めて見たとき、怒りを覚えたという。教官として、長崎県川棚町にあった訓練所で約50人の指導に当たった。「命を捨てるのは残された日本人が辱めを受けないためだ」「僕たちもすぐに行く」と教え子を送り出したが、自身は出撃待機中に終戦を迎えた。戦後、実家のあった横浜から長崎県に移住。「特攻殉国の碑」建立に関わり慰霊に努めた。搭乗員や整備員ら震洋に関連して亡くなった戦死者は2500人を超える。2011年、89歳の時に西日本新聞社の取材に語った。