太平洋戦争が開戦した1941年12月8日、中國義さん(徳島市)が所属する徳島の歩兵第143連隊はタイに侵攻した。上陸間際に猛攻を受けて左胸と左腕、左手首に被弾。大量に出血したものの、海中に落ちた大隊砲の車輪を回収しなければならず、その場から離れられなかった。味方が助けに来るまで海面に首だけ出して浮いていたという。バンコクの野戦病院で治療を受け、3カ月で隊に復帰。その後、物資が豊富な連合軍の攻撃は激しさを増し、「死の行軍」と呼ばれる退却劇を体験することになる。2014年、94歳の時に徳島新聞社の取材に語った。