第2次世界大戦後の8月23日に旧ソ連の最高指導者スターリンの極秘指令で始まったシベリア抑留から75年がたった。

 だが、その実態は依然として未解明のままだ。国は今も続く苦難の歴史を明らかにし、後世に伝えていく責任がある。

 厚生労働省の推計では、旧満州(中国東北部)や朝鮮半島にいた日本兵や民間人約57万5千人が旧ソ連やモンゴルの強制収容所に送られ、約5万5千人が重労働や飢え、病気などで死亡した。うち約1万5千人は身元が不明とされる。

 2010年にシベリア特別措置法が成立し、対価のない強制労働を余儀なくされた生存者に対し、遅まきながら1人25万~150万円の一時金給付が実現した。

 重要なのは、同時に抑留の実態解明に向けた調査も政府に求めたことだ。

 だが、抑留がどんな経緯で起きたのか、何人がどこに強制収容され、どのように亡くなったのか、全容の解明はほとんど進んでいない。

 抑留者には女性も含まれていたことが日本側の証言やロシア側の資料で判明しているが、大まかな総数すら把握できていないのが実情だ。

 植民地だった朝鮮、台湾の出身者で「日本兵」として抑留された人たちも同様だ。1万人以上いたとされるが、詳しいことは分かっておらず、給付金の対象にもなっていない。放置してはならない問題だろう。

 収集できた遺骨も2万2千柱にとどまる。まだ半数以上が取り残されたままだ。

 昨年は、厚労省の事業でロシアで日本人以外の遺骨と取り違えて収集し、専門家の指摘を受けながら長年公表していなかったことが明らかになった。

 16年に遺骨収集を「国の責務」とし、一層の推進を目的とする戦没者遺骨収集推進法が成立したにもかかわらず、数ありきのずさんな収集が続いていたことになる。

 一日も早い遺骨帰還を願う遺族を裏切ったことを国は猛省し、信頼される収集に努めなければならない。

 そのためにも、ロシアをはじめとする全ての関係国に協力を求め、より綿密に抑留資料の調査を進めていく必要があろう。

 得られた資料が十分に生かされていないという指摘もある。

 専門家が研究目的でデータを活用しようと思っても、個人情報保護などを理由にアクセスが制限されるという。

 実態解明に向け、もっと柔軟に研究者や関係機関、民間団体などが情報を共有し、有効に活用できる態勢を整える必要があるのではないか。

 犠牲者を追悼する恒例の集いが東京で開かれた今月23日、抑留体験者や遺族らがオンラインで4万人を超える抑留死亡者の名前を3日がかりで読む初のイベントが行われた。一人一人の存在を心に刻む試みだ。

 抑留体験を持つ生存者は年々減り、平均年齢は97歳だ。「戦後最大の悲劇」ともいわれる抑留の歴史をどう継承していくのか。

 国がなすべきことは多い。